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やさしいんだね
第5章 鮮血と赤箱
 あの日、あの夏、あのテーマパークで、千夏は言った。




 小百合はまた、夢を見ていた。
 記憶を再生しただけの、千夏の夢を。




 ――――いちどでいいから、お兄ちゃんと来てみたかったなぁ。


 夕暮れの中。
 小百合と揃いのワンピースに身を包んだ千夏は、閉園時間を迎えた園内をとぼとぼ歩きながら呟いた。



 ――――なんて、一緒に来てくれた小百合の前でこんなこと言ったら失礼だよね。


 千夏は唇だけを歪ませて、笑っていた。
 人形のような横顔は切なかった。


 ――――ごめんね・・・でも、考えちゃうんだ。アキラお兄ちゃんってね?ボクが欲しいって言えば、なんでも買ってくれたんだよ。



 小百合の指と絡めあった指先は冷たかった。



 ――――最初に買ってくれたのは犬だった。血統書つきの柴犬。お兄ちゃんがラッキーって名前つけたんだ。その前に飼ってた雑種の犬と同じ名前にさ。
 


 華奢な肩のうえで柔らかい髪が風に吹かれて悪戯に揺れていた。


 ――――ラッキーだけじゃないよ。おもちゃもゲームもいっぱい買ってくれた。ボクが大きくなってからは、お洋服もかばんも靴もアクセサリーも、欲しいって言えばなんでもたくさん買ってくれた。でもね。


 千夏は立ち止まり、かばんの中からスマホを取り出すと、徐に海に向かってそれを投げた。
 小百合の視線が弧を描いてオレンジ色の水面に落ち、小さな水しぶきを映す。


 ――――いっしょにお外で遊んでくれることだけは、どれだけ頼んでも絶対にしてくれなかった。


 つぎに千夏は鍵を投げた。
 つぎに化粧ポーチ。
 つぎに財布。
 つぎにかばん。
 手ぶらになった千夏は今度はネックレスを外し、今度は・・・。


 ――――お兄ちゃんと初めて一緒にマンションを出たのは、初めてボクがお兄ちゃん以外の男の人に悪戯されるためにホテルに送ってもらうときだったんだ。


 千夏がいつもぶら下げていたプラチナ製のピアス。
 ソンに買い与えられた、千夏のお気に入り。
 夕日に反射して投げたそれは、柵の向こうの海には届かず、アスファルトの上を二度跳ねて落ちた。




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