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やさしいんだね
第6章 他人の快楽は夕刻の改札で
 目が覚めたとき、見慣れない和室に設置された壁掛け時計の針は5時34分を指していた。



 小百合はゆっくり上体を起こし、気だるく瞼をこすった。
 八田の姿は見えなかった。

 代わりに布団の足元に適当に畳まれた衣服が見えた。

 手に取り広げてみると“流行”という概念が見当たらない毛玉の目立つポリエステル製のブルーのカットソーと、同じような概念の黒いジャージパンツだった。
 そしてそれらで隠された、真新しいショーツと生理用品。

 
 深く思考を巡らす前に小百合は黙ってセーラー服を脱ぎ捨て、八田から与えられた八田の妻の衣服に着替えた。
 立ち上がりリビングに足を進めると、ショーツに貼り付けたままの昨日の生理用品ががさがさ鳴った。

 トイレの場所はどこだっただろう。 
 小百合は気だるい身体と心で考えた。


 ジャングルジム一体型玩具のそばをそーっと通り抜け、陸続きになっているキッチンとの境目に立つと、食器棚と食卓の間に敷いた布団の上で八田が眠っているのが見えた。

 煙草の臭いが充満する薄暗い空間に、もう一歩足を踏み進める。
 タンクトップから露わになった肩が深い寝息と共に上下に揺れているのが見える。

 もう一歩。
 近付いて、顔を覗き込む。


「せんせい」


 小声で呼んでみたが、八田は反応を示さなかった。
 整っているだけの混血の横顔は長い睫毛が目立っていた。


 先生の奥さんはどんな人なんだろう。
 小百合は顔を上げながら、ふと考えた。
 食卓の反対側を通り、廊下へ続く扉を開けた。
 扉をひとつひとつ開けて中を確認し、最後に開けた扉の中を確認してようやく安堵し、小百合は遠慮がちに電気を付けた。
 

 便座の蓋を上げると、水と便器の境目に黒い輪が染み付いていた。
 それでも、今日の晩には帰ることになる文化住宅の和式便座よりはマシだと小百合は考えた。
 真新しい下着をジャージパンツごと引き下ろし、いつ交換したのか不明瞭な便座カバーの上に尻を下ろす。
 用を足してからトイレットペーパーで恐る恐る、昨晩救急病院の研修医にさんざん弄くられた箇所を拭ってみる。
 見ると、わずかに鮮血が白い紙に付着していた。
 

 でも、あの時とは違う。


 言い聞かせるように小百合は紙を捨て、振り向いてレバーを引いた。
 鮮血が水圧に押し流され消えて行く。


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