この作品は18歳未満閲覧禁止です
- 小
- 中
- 大
- テキストサイズ
愚者の唇
第1章 愚者の唇
彼はぐったりとヒクつく私を鮮やかに無視し、素早く衣服を整え、残された時間を確認した。
まだ息があがっているものの、倒錯した毒気の全てをゴムのなかに吐きだし、冷静さを取り戻した男は、さっきまでとは別人のようだ。
私は今、一体誰に抱かれたのだろう。
纏った濡れたスーツに消え残るアクアディジオの香りだけが、彼が他の誰かと入れ換わっていないことを示している。広告モデルのLars Burmeister、クールで耽美な口元が、ちょっとだけ彼に似てる。
私が海の向こうの人のことなんて考えていたら、すぐそばにいる別の女のことを思い出された。
「帰る。日付変わって、嫁さん誕生日なんだ…
誰かのせいでなにも用意出来なかったから、とりあえずコンビニ寄らないと」
今日彼が仕事から帰れなくなった理由を作ったグズな私はまだ、Tシャツを元に戻しただけだ。
日付が変わって今日ならば、明日の会社帰りで間にあうではないか。
でもそれを言ったら、きっとまた怖い顔をする。私はますます、彼の帰りを寂しく思うことになる。
「ケーキ、…あります。お持ちになりますか」
同期の男の子が、元気出して、と帰り際の駅ビルで買ってくれた。
落ちこぼれの私にいつも優しいその男の子は、私があそこまで叱られた理由を正直に説明したとしても、きっと理解できないだろう。