この作品は18歳未満閲覧禁止です
![](/image/skin/separater44.gif)
- 小
- 中
- 大
- テキストサイズ
陽炎 ー第二夜ー
第1章 女郎蜘蛛
![](/image/mobi/1px_nocolor.gif)
「おっさん、何ちんたら歩ってんだ。邪魔だよ」
いきなり後ろから声がした。
足の悪い身で、杖を頼りにゆっくりと歩を進めていた儂は、道を譲ろうと少し横にずれる。
この手の罵声は聞き慣れていたから、特に何とも思わなかった。
だが、その声の主が続けた言葉は、意外なものだった。
「てめぇでてめぇの身体支えらンねぇってんならよ、半分くらい背負ってやるよ」
杖と反対側の、左の脇がふいに持ち上がり、ぐい、と人の首が入ってくる。
あまりのことに驚き、杖を取り落しそうになった。
が、左側をしっかりと人が支えているので転けることはなかった。
「あんたの話、面白かったぜ。」
先程童共に垂れていた講釈を聞いていたらしい。
「続きを俺ンとこ来て聞かせてくれねぇか?」
そういってニヤリと笑う男の顔には、右目の下から顎にかけて、大きな鉤裂きのような傷があった。
長く伸ばした髪をぞんざいに縛り、着物を着崩した姿はどう見ても堅気の風体ではない。
だが、真っ直ぐに前を見る、強い目を持っていた。
その男は、儂の歩調に併せながらゆっくりと歩いた。
そして、
「来るかい?いい酒があるんだ。」
そう言ってニッと笑う。まるで童のような邪気のない笑みだった。
表情がころころと変わる。
これは…天性のものかは判らぬが相当な人たらしよ…と目を逸らし、口角を吊り上げる。
「俺は市九郎ってんだ。おっさんは?」
「兵衛だ。おっさんなどと無礼な。儂はまだ三十五じゃ」
「おっさんじゃねぇか。
俺よか十も上だ。…で、来るの?来ねぇの?
酒好きだろ?」
「なぜそう思う?」
「俺と同じ匂いがするからさ。酒好きのな」
儂はふ、と笑い。
「参ろうか」
と続けた。
あの日も、今日のような、うだるような夏の日であった…
あれから早十年。
今でもありありと思い出せるが、あの男はもう居らぬ。
儂は、再び一人で歩き出した…
![](/image/skin/separater44.gif)
![](/image/skin/separater44.gif)