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偽りの身の上〜身代わりの姫君〜
第6章 あいするひと
ふわっと花の香りがした。顔を向けると、王子は腰を下ろしてジバルを覗き込んでいた。
近くで見ても一切顔の表情は動かず、標本か何かでも見るような視線で数回瞬きをすると絹のような指先でジバルの頬に触れた。
「綺麗な目だな」
その時初めて、王子の目に薄っすらと笑顔が浮かんだ気がした。
ジバルをはじめ周りのものが反応するより早く、王子は自分の首に巻いていた遥か遠くの国から仕入れた貴重なストールを外して「それは僕が買おう」と言い放った。その時から、ジバルの身も心も、王子のものになった。それは王子が六歳の時。ジバルが十歳の時だった。
一度は町を彷徨い、生まれて始めての自由を満喫してみたけれど、それは酷く不安定でおぼつかない。ずっと頭にあったのは、綺麗な目だなと笑った王子の顔だった。
改めて王子の世話役になったジバルは自分の名前を言えなかった。ずっと見世物として生きてきたせいで、名前がなかったからだ。それを告げると王子は少し考えて、「ジバルにしよう。いいな」と。それだけで彼の名前が決まった。その時のことはジバルにとって忘れられない瞬間になった。
城に入ってからしばらくして、お妃が病で死んだ。そんな時でさえ表情を変えず、黙って受け止めている様子の王子を、家族とは縁遠いジバルが察せることなどあるはずもない。
建設中だった黒城がほどなくして完成すると、国王は王子をそこに閉じ込めてしまい、唯一ジバルだけが黒城に立ち入ることを許された。そこで日がな一日、王子の役に立てるのならと、食事などを運び世話をした。
その頃には、たとえ気まぐれだとしてもあの世界から引き上げてくれた王子に恩返しをしたいと思っていた。誰に言われたからでもなく、ジバルの意思で初めてそれを決めた。
空いた時間で書庫にこもり勉強し、訓練場に行っては手が空いていた兵士に訓練をつけてもらった。ジバルは年齢のわりに体の成長が早く、鍛えるとすぐに身についてあっという間に剣の技を身につけ、この国でも一位二位を争うほどの剣客になった。これで例え他国が攻めてきても王子を守ることができる。
バーチェスには古い伝統があり、王子が戴冠式をするときに渡される王家の剣を一番優秀な騎士に渡す。いつか王子が国王になる時にはそばにいて、その剣を賜りたい。そう思うとジバルはより一層の鍛錬に励んだ。