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偽りの身の上〜身代わりの姫君〜
第5章 おうさま
「さっき歌いながら掃除してたじゃん」
「……ああ」
無意識に鼻歌で歌っていた。納得して、残りわずかのサンドウィッチを見つめる。
「あの歌、王様が歌ってたの」
「……ふうん」
「私は知らない歌なの。ハイネは知ってる?」
そもそも私の知っている歌なんて幼児が口ずさむような手遊び歌程度のものなのだ。王様が歌っていた歌は、ルバルドでも知れ渡っている歌なのかもしれないが、物乞いの私が知るはずもない。
「しってるよ」
「そうなの? 有名な歌なのね」
だってあんなに耳に残る曲なのだ。もしかしたら上流階級の間で知られている戯曲の一節とかなのかもしれない。
ハイネは少し遠くを見て、懐かしむように笑った。
「まだ見ぬ運命の女に捧げる愛の歌」
私は言葉を失って、そのあとは機械的にサンドウィッチを口に押し込んだ。
ああ、まただ。気持ちを切り替えてメイド業に専念しようとしても、ほんの少しのことで私の心は底なし沼に嵌った仔牛のようになす術もなくズブズブと沈んでいくのを止められない。
王様に触れるたびに感じる、仄かに、けれど確かにあったガラスの壁の厚みが急に何メートルにも増したようだった。
「……ねえ、君があの人を思うのは、彼が王様だから?」
水面がまさに鼻を覆い、息苦しくなってきたところで、ハイネの声が私を沼から引き上げる。
「え?」
「王様だから、そんなに気になるの? それとも他にあるの?」
「王様だから……?」
王様じゃなかったらこんなに苦しくならないんだろうか。例えば騎士だったら? ハイネみたいに執事だったら?
「……わからないわ」
「どうして?」
「だって……今まで王様として過ごしてきた時間や接してきた人たちがあってはじめて今の彼に成るんだと思うの。だから、王様じゃなかったとしたら、それは別の人になっていると思うの。……上手く説明できないけど」
私が今こういう性格なのは兄に守られて生きてきたのと同じように、きっと王様も今までの人生があって今の「王様」になったんだと思う。だから、王様じゃない彼を想像するとそれは別の人になってしまう。
上手に伝えられない自分にもどかしくなってうつむくと、ハイネは頭をコツンと私の肩に寄りかからせた。
まるで子供が母親に甘えるようなその仕草に内心驚く。けれど、嬉しかった。