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海棠花【ヘダンファ】~遠い約束~
第1章 燐火~宿命の夜~
スンチョンは最早、有無を言わせず梨花の手を掴むと、そのまま室を出た。庭へと続く階段を降りる。部屋の前は森閑と静まり返っていたが、かえって、その静けさが異様というか不気味であった。
先刻聞こえた騒々しさは何であったのかと一瞬思いかけたものの、それはやはり聞き間違いではなかった。
直に女の鋭い悲鳴が虚空をつんざいた。スンチョンに起こされたときは既にもう朝かと思ったのに、見上げた空はまだ漆黒に覆われ、屋敷全体はぬばたまの夜の底にひっそりと沈んでいる。
「お嬢さま、参りますよ」
スンチョンに手を引かれ、梨花は走った。緊張のあまりか、いつもは温かなスンチョンの手が冷え切っている。
梨花はその手をしっかりと握りしめた。まるで乳母の手を放してしまったら、二度と手を繋ぐことができなくなるとでもいうように。
幾ら聡明とはいえ、所詮、六歳の幼子である。スンチョンについて走るのが精一杯で、途中で何度も転び、思うようには進めなかった。林家の庭は広大で、あちこちに庭木や花が植わっており、格好の隠れ蓑になってはくれたが、逆にその広さは女子どもが逃げ切るには困難でもあった。
途中からスンチョンは梨花をおぶって逃げた。スンチョンの背中は広くて温かくて、頼もしい。乳母の背中にいる限り、自分は安全だ、守られているのだという安堵を憶えられた。
先刻聞こえた騒々しさは何であったのかと一瞬思いかけたものの、それはやはり聞き間違いではなかった。
直に女の鋭い悲鳴が虚空をつんざいた。スンチョンに起こされたときは既にもう朝かと思ったのに、見上げた空はまだ漆黒に覆われ、屋敷全体はぬばたまの夜の底にひっそりと沈んでいる。
「お嬢さま、参りますよ」
スンチョンに手を引かれ、梨花は走った。緊張のあまりか、いつもは温かなスンチョンの手が冷え切っている。
梨花はその手をしっかりと握りしめた。まるで乳母の手を放してしまったら、二度と手を繋ぐことができなくなるとでもいうように。
幾ら聡明とはいえ、所詮、六歳の幼子である。スンチョンについて走るのが精一杯で、途中で何度も転び、思うようには進めなかった。林家の庭は広大で、あちこちに庭木や花が植わっており、格好の隠れ蓑になってはくれたが、逆にその広さは女子どもが逃げ切るには困難でもあった。
途中からスンチョンは梨花をおぶって逃げた。スンチョンの背中は広くて温かくて、頼もしい。乳母の背中にいる限り、自分は安全だ、守られているのだという安堵を憶えられた。