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飼育✻販売のお仕事
第18章 魅惑の花はどこで啼く
「…………」
「さて。仕事に戻ろ」
「はいっ」
「おいっ、里子!」
にわかに痛み出した胸を庇って、里子はフロアを駆け出した。
志穂の声が里子を追う。
里子は事務室に飛び入るや、抜け殻のごとくくずおれた。
「ぅ……く……っ、……」
抉られる。涙は涸れた。
夢で鈴花にまみえたあとはあれだけ泣けても、永久(とわ)の喪失に凍てた身体は、感情を吐き出すことも諦念している。
「──……」
「里子……っ」
「痛っ」
突然、身体が床に打ちつけられた。
里子は扉に弾かれていた。
「あ、悪りぃ」
「…………」
志穂がスイッチを押した。里子を守っていた晦冥が、今また冷たい明るみに消えた。
「気にすんな。……っつー方が、無理か」
「…………」
「悪かったな。新崎じゃなくて」
「何故、……」
井清鈴花(いせいすずか)──…。
それは忘れ難い女の名前だ。
まおの知人も同じ苗字だ。そして彼女は、鈴花も小さな家族に呼びかけていた名前を、亡きペットにつけていたのか。
鈴花は、黒と白のマーブル模様のオスのウサギをアルタイルと呼んでいた。
いつか、恋人に同じツートーンのウサギをベガと名づけて飼って欲しい。里子がその通りにしなかったのは、相応しいウサギがいなかったからだ。
あれから十年、ようやくベガと呼びたい一羽が入荷した。連れ帰らなかった。罪のないウサギに哀れな女の空疎を埋め合わせる義務はない。里子は屈託ない愛情を注げる客が現れるまで、ベガをベガと呼んでいたのだ。