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口琴
第9章 逃避
梨絵の疲れた声が、玄関から聞こえた。

敬介は、ハッとして時計に目をやると、もう午前一時を回っていた。

カタカタと靴を脱いだり、鍵や荷物を置く気配が。

水を飲んでいるのか、キッチンの蛇口の音も…。

敬介はこの状況を何とか誤魔化そうと慌ててズボンをはき、剥ぎ取った蕾のショーツを必死で探した。

早く子供部屋へ…!

焦れば焦るほど見つからない。布団の中や枕の下も…。

無い…。

蕾は依然気を失ったまま。

「おいっ!蕾っ!起きろっ!パンツ探せ!くそっ、しょうがねぇ、このまま連れて行くか」

そう言って、蕾を抱き抱えようとしたその時。

ガチャッ!

「今、帰りま…し…た…。え?…」

「おうっ…!お、お帰り…早かったな…」

「…どうして?…蕾がここに…?」

「え?…あ、あぁ…いや…その…あれだよ…そうそう、今夜はパパと一緒に寝たいって言うから、まぁ、たまには良いかなって…。今部屋へ連れてこうかと…。ヘヘッ」

敬介の訝しげな挙動に、梨絵の顔が曇る。

…妙だ…。

蕾は敬介を毛嫌いしているし、敬介も蕾を嫌っている…。なのに…あり得ない。

敬介の顔が、引きつっている。

不信に思いながらも梨絵は言った。

「珍しいわね。蕾があなたと寝たいだなんて…」

ふと目を伏せた視線の先に、何やら白い布が落ちているのに気づいた。

梨絵はそっとそれを拾い上げ、息を呑む。

「こ、これは…!」

敬介が青ざめていく。

小さな綿のショーツ。

…湿っている…。

梨絵は恐る恐る蕾のパジャマの裾を捲った。

「…!」

凍り付く。

「ち、違うんだ。つ、蕾が誘って来やがったんだ!なぁ信じてくれよ。こいつ、俺達のセックスを覗いて、オナってたんだぜ?…。ほら、お前、何で廊下が濡れてるの?って言ってたじゃねぇか。あれはこいつのまん汁だ。こいつ、あれ以来俺のデカマラを自分にも挿入れて欲しくて、まんこを俺のに擦り付けて来やがったんだ。とんでもねぇ淫乱娘だぜ。全く…」

訊いてなどいないのに、饒舌に嘘を吐いて墓穴を掘るこの愚かな男と、ぐったりと横たわる蕾が、梨絵は途方もなく哀しかった。

やがて、訳の分からぬ激しい嫌悪と震えが、胸の深い場所から沸々と沸き、何故かその矛先は、敬介ではなく蕾へと向いていた。

どうして…?

梨絵は困惑し、知らぬ間に涙が頬を伝っていた。
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