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口琴
第9章 逃避
梨絵は何も言わず蕾を抱き、子供部屋のベッドへそっと運んだ。

この悶々とする気持ちのやり場がなく、梨絵は蒼白の蕾を冷たく見つめた。

それから風呂場で洗面器に湯を汲むと、タオルを持って再び子供部屋へ。

何も知らない梓は、小さな寝息をたて、口許には愛らしい笑みを浮かべている。

楽しい夢を見ているのか…。

梓が恨めしかった。

湯を固く絞ったタオルで、蕾の下半身を拭いた。陰部から内腿にかけて、敬介の悪戯の痕跡がベッタリとこびりついている。

目を覆いたかった。

『蕾が誘って来やがったんだ』敬介はそう言った。そんな筈はない…。梨絵はそう自分に言い聞かせようとした。

でも…強ち嘘じゃないかも…。

いくら幼いとは言え、中條に何度も女の悦びを教え込まれた躰。

寧ろ、無垢な"白"は染まりやすいもの…。

それにここ最近、蕾に"女の色香"を感じていたのは確かだった。

梨絵の女ならではの"臭覚"とでも言うべきだろうか。

梨絵の中で、強い疑念が波紋のように広がっていく。

無意識に、タオルを握る手に力がこもり、強く擦ってしまった。

「…うっ…ンッ…」

蕾が微かに呻き、寝返りを打つ。

うっすらと開く翡翠色。

ぼんやりと霞む視界に、母の悲し気な顔があった。

「…ママ…」

「……」

梨絵の表情が固まる。

「…ママッ…」

ギュッてして…。

蕾は甘えるように、ゆっくりと両腕を伸ばす。

しかし梨絵はその手を無視し、スッと立ち上がると、箪笥の引出しからショーツを取り出し、無言のまま手早く、そして少し乱暴にはかせると、蕾の顔を見ず部屋を出ようとした。

「…ママ?」

不可解な梨絵の態度に、怪訝そうに母を呼ぶ。

ノブに手をかけ、一瞬立ち止まった梨絵は、厳しい表情で、微かに口を開いた。

「…あなたって子は…」

少し掠れた声で蔑み、部屋を出て行った。

「…ママ…?」

…怒ってる…?

…どうして…?

何があったのか、聞いてくれないの…?

私…パパに…。

いつも優しい母の変貌に、蕾は困惑した。

…ママ…

…どうして…?

…もう嫌いなの…?

…私…悪い子…?

蕾は自問する中で、自己嫌悪と失望が膨らみ、喉の奥につっかえた得体の知れぬ塊が、益々肥大していった。

息ができない…。

白々と明ける空をカーテン越しに感じながら、とうとう朝を迎えた…。
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