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さくらホテル2012号室
第11章 月のない夜

ただの名もない先生の女から、いつもの母や妻や司書に、ゆっくりと戻ってゆく。
でも、その女には「わたし」という芯がある。先生が教えてくれた芯がある。
誰のものでもないわたしの人生を生きるために、先生はそれをわたしの身体にゆっくりと記していった。先生の指で。言葉で。性器で。そして、残り香で。
最寄りの駅で電車を降りる。
夫であるひとと、35年の相互保証人となったローンで購入した一戸建ての住まいまで、徒歩で25分。
少し遠いけれど、それはわたしが普段のわたしに還(かえ)る、最後の時間だ。
季節は初冬。
見上げれば、月のない深い夜に、カシオペアが見える。その脇には勇者オリオン。透き通った大気と、頬の肌を冷たく撫でてゆく11月の夜風。

