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禁断の果実 ―Forbidden fruits― 第1部
第75章            

 高いベッドから降ろされた裸足の脚は、何かに取り憑かれた様に、ふらふらと歩を進める。

 寝室を出、リビングを抜け、照明が極限まで落とされた廊下を突き進む。

 裸足の足裏に触れる大理石の冷たさが、唯一、自分の理性をこの場に繋ぎ止めている様だった。

 夢遊病者のように辿り着いたのは、1階の隅にある防音室。

 分厚い扉を押し開いて入ったヴィヴィは、迷いなく漆黒のグランドピアノへと、ぺたぺたと近付いていく。

 長椅子に腰を下ろし、鍵盤の蓋を開いたヴィヴィは、フェルト地の鍵盤カバーを払うと、右手をその白黒の上に下した。

 パサリと布の落ちる音と共に紡ぎ出されるのは、『喜びの島』。

 フェルマータを伴ったトリルが、静かな防音室に響き始める。

 それは一見軽やかな音色なのに、3小節目から左手が加わると、徐々に狂いが生じてくる。

 最初に入ったひずみは、右手のミスタッチ。

 そこから徐々にずれが生じ、細やかな音符達が空中で離散し、曲が崩壊していく。

 それも仕方なかった。

 まだ皆が寝静まる早朝3時過ぎ。

 もちろん防音室には暖房など入っておらず、まるで氷点下かと勘違いするほどの冷気に満ちていた。

 かじかんだ指先が、ぎくしゃくと鍵盤の上を走り、しかしそれはやがて止まった。

「……――っ」

 ヴィヴィの両手が、鍵盤の上を這い、やがてその上に金色の頭がこつりと落ちてくる。

 追い求めているのとは全然違う、少しも似つかない音に、余計に心が冷える。

(違う……、こんなのじゃない……っ

 こんなのじゃない、お兄ちゃんの音は――)

「……お兄、ちゃん……」

 薄い唇から零れるのは、擦れた寂しげな声。

 灰色の瞳から零れるのは、冷たくてしょっぱい涙。

 こめかみを伝い、掌へと滴り落ちるそれは、一体何の感情で溢れ出たものなのか。




『お前はホントに、甘ったれだな……。

 泣けば全てが許されて、周りが助けてくれると思ってるんだろ?』




 匠海に詰られた言葉が過ぎる。

 そうだよ。

 そう思ってたよ。

 本当は、そう分かっていて泣いていた。

 だって、自分は狡い――。

 自分の持てる全てを使って、兄に媚び、自分の思い通りに事が運べばいいと、そう、思っていた。 

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