この作品は18歳未満閲覧禁止です
- 小
- 中
- 大
- テキストサイズ
禁断の果実 ―Forbidden fruits― 第1部
第75章
高いベッドから降ろされた裸足の脚は、何かに取り憑かれた様に、ふらふらと歩を進める。
寝室を出、リビングを抜け、照明が極限まで落とされた廊下を突き進む。
裸足の足裏に触れる大理石の冷たさが、唯一、自分の理性をこの場に繋ぎ止めている様だった。
夢遊病者のように辿り着いたのは、1階の隅にある防音室。
分厚い扉を押し開いて入ったヴィヴィは、迷いなく漆黒のグランドピアノへと、ぺたぺたと近付いていく。
長椅子に腰を下ろし、鍵盤の蓋を開いたヴィヴィは、フェルト地の鍵盤カバーを払うと、右手をその白黒の上に下した。
パサリと布の落ちる音と共に紡ぎ出されるのは、『喜びの島』。
フェルマータを伴ったトリルが、静かな防音室に響き始める。
それは一見軽やかな音色なのに、3小節目から左手が加わると、徐々に狂いが生じてくる。
最初に入ったひずみは、右手のミスタッチ。
そこから徐々にずれが生じ、細やかな音符達が空中で離散し、曲が崩壊していく。
それも仕方なかった。
まだ皆が寝静まる早朝3時過ぎ。
もちろん防音室には暖房など入っておらず、まるで氷点下かと勘違いするほどの冷気に満ちていた。
かじかんだ指先が、ぎくしゃくと鍵盤の上を走り、しかしそれはやがて止まった。
「……――っ」
ヴィヴィの両手が、鍵盤の上を這い、やがてその上に金色の頭がこつりと落ちてくる。
追い求めているのとは全然違う、少しも似つかない音に、余計に心が冷える。
(違う……、こんなのじゃない……っ
こんなのじゃない、お兄ちゃんの音は――)
「……お兄、ちゃん……」
薄い唇から零れるのは、擦れた寂しげな声。
灰色の瞳から零れるのは、冷たくてしょっぱい涙。
こめかみを伝い、掌へと滴り落ちるそれは、一体何の感情で溢れ出たものなのか。
『お前はホントに、甘ったれだな……。
泣けば全てが許されて、周りが助けてくれると思ってるんだろ?』
匠海に詰られた言葉が過ぎる。
そうだよ。
そう思ってたよ。
本当は、そう分かっていて泣いていた。
だって、自分は狡い――。
自分の持てる全てを使って、兄に媚び、自分の思い通りに事が運べばいいと、そう、思っていた。