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禁断の果実 ―Forbidden fruits― 第1部
第100章
漆黒のグランドピアノに近づき、大屋根を持ち上げて突上棒で固定すると、鍵盤を覆う蓋とフェルトを除く。
椅子に浅く腰かけたヴィヴィは、胸の前で一度指を組むと軽く解し、磨き上げあられた鍵盤の上へと下した。
5分程掛けて指を慣らし、弾き始めたのはピアノ講師から出された課題曲。
フレデリック・ショパンの『バラード 第1番 ト短調』。
夏頃練習していた『木枯らし』も含め、どうやらヴィヴィのピアノ講師は、ショパンが好きらしい。
ショパンのピアノ曲のスタイルには、抒情的と物語的、という分類がある。
後者の典型がこの『バラード』。
『バラード』とは、 “物語” を意味するフランス語が起源らしく、その名の通り1曲の中で起承転結を感じることが出来る。
作品の劇的な性格を象徴しているかの様な、導入部。
その後に続くト短調の第一主題は、陰鬱で捉えどころがない。
一見シンプルに見えて不可思議な色を持つ旋律は、ためらいがちに途切れ、聴く者に直接的に訴えてくるかと思えば、やはり戸惑い、内に籠もる。
最初は調子よく弾いていたヴィヴィだったが、やがて鍵盤の上を走る手を止めた。
ピアノの余韻も掻き消えた静かなそこに零れるのは、微かな溜め息。
それはそうだろう。
スケートの練習が出来ない程心が乱れているのに、同じく集中力を必要とするピアノの演奏が出来る筈もない。
「………………」
鍵盤に添えていた指先が冷たく感じ、ヴィヴィは手を引いてワンピースの脚の上に揃える。
頭と心を占めているのは、昨夜の兄の言葉だった。
自分のせいで、男性としての機能に障害を持ってしまった兄。
けれど今、兄は自分を恨むどころか、とても幸せそうに囁くのだ。
『確かに色々な事があったけれど、
それでも俺はお前を愛しているよ。
ちゃんと1人の女性としてね』
兄の優しさ――昨夜の自分はそれに縋り付き、この苦しい状況から逃げ出しそうになった。
まだ解らない事、知らされていない事は、山積みなのに。
すぐに楽になる方法をまた取ろうとしてしまった自分が、不甲斐無さ過ぎて。
ヴィヴィは華奢な肩を落とすと、握り締めた手を見下ろす。