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禁断の果実 ―Forbidden fruits― 第1部
第112章              

「あ、れ……?」

 微かに擦れた声が、薄い唇から零れる。


 あれ、違うか。

 お兄ちゃんは今、日本にいるんだよね?

 昨日の深夜便で、帰国したって、マムが。

 ええと、

 どうして、帰国したんだっけ――?


 寝起きのせいか、記憶があやふやで。

 細い指先で髪をかき上げながら、記憶の糸を辿る。


 明日、ヴィヴィのフリーなのに。

 どうして、お兄ちゃん、ここにいないんだっけ?


 なんでおにいちゃん、

 ヴィヴィの傍に、いないんだっけ――?



『……トーコ……て、だれ?』
 


 突然頭の中に浮かんだ、誰かの問い掛け。

「え……?」

 驚いたヴィヴィが、とっさに呟く。



『ねえっ マム! 誰なの!? 瞳子って、誰なのっ!!』



 頭の中でガンガンと反響する、

 その切羽詰まった細く高い声の主は、



 ――自分、だ。



「………………」 

 しばし、その場で立ち尽くしていたヴィヴィ。

 やがてゆっくりとした足取りで、暗いバスルームの方向へと歩を進め。
 
 そして、

 そこで、胃の中の全ての物を吐き出した。






 吐く物は、すぐに無くなって。

 自分の身体の中で、胃だけが有る場所を知らしめるかのように暴れ、痙攣していた。

 ツンとした匂いにさえ嘔吐中枢が刺激され、何とかトイレの水は泣かすものの、

 その流れの中に、身体のそこかしこから絞り出した粘液が、食道を上がり。

 涙と一緒に零れ落ちていく。

 たぶん、クリスが背を擦ってくれていた。

 ぐちゃぐちゃになった顔を、暖かな濡れタオルで拭ってくれる手。

 震えの止まらない身体を、毛布に包んで抱き締めてくれる腕。

「大丈夫だからね」

「今、日本人ドクター、来るからね~。もう少しの辛抱だよ~」

「頑張って、ヴィヴィっ」

 交互に聞こえてくるそれらの声は、トレーナーや、マネージャーや、それに――。

 ヴィヴィは咄嗟に、自分を抱き締めている腕を握る。

「……騒、が……ない、で……」

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