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東 めぐみ(結菜)さんの作者ニュース
私は義理の父と呼ぶ人の言うがままに体を開き、結ばれた
こんばんは。
色々と雑事が立て込み、更新が遅くなりました。
いよいよ泰雅の出生の秘密が白日の下にさらされます。
改めて読み返し、作者が感じたことは
-なんて身勝手な父親と母親だ。
もちろん、将軍様と泰雅の母です。
いちばんの責任者はやはり将軍だといえますが、
将軍の言うなりになったときはまだ何も知らない少女だったとしても、
泰雅を生んだからには、もう一人の母親。
何故、母として子を守り通そうという気持ちにならなかったのか?
さて、この逸話にはモデルがあります。
実在した8代将軍吉宗は賢君として有名ですが、
この吉宗、実は5代綱吉の養女であった竹姫という姫君と
関係があったという噂があったようです。
更に竹姫は何度か大名家の若君と婚約したのですが、
その婚約者が次々と不幸にも死んでしまい、竹姫と婚約した男は早死にする
といわれました。
そうなんです、その竹姫がほんの少しですが、泉水のモデルになっています。
吉宗はそういう竹姫を哀れみ、それならいっそ自分が妻として御台所に
迎えてやろう、そんな気持ちで竹姫を妻に迎えると言ったらしく、
それが二人の間にやましいことがあったわように誤解されたのではと
いわれています。
余談ですが、流石に血縁関係はないとはいえ、身内同士の結婚はできない
と老中に反対され、吉宗諦めました。
吉宗は竹姫の嫁ぎ先を必死で探し、婚約者を取り殺す姫を迎えるのなら条件
があると色々と難題を付けてきた大名家の条件をすべて呑んで、
竹姫を嫁ぎ先に送り出してあげたとか。
竹姫が嫁いだ先の相手は既に再婚者、しかも正室の竹姫がこれから先、男児を
生んでも、先妻の息子を次の藩主にして、竹姫の子は世継ぎにはしない、など
かなり無茶な要求であったようです。
しかし、吉宗はすべてこれを受け容れました。
竹姫は嫁ぐ時、吉宗に泣いて別れを告げたといいます。
私の好きな歴史のエピソードです。
色々と雑事が立て込み、更新が遅くなりました。
いよいよ泰雅の出生の秘密が白日の下にさらされます。
改めて読み返し、作者が感じたことは
-なんて身勝手な父親と母親だ。
もちろん、将軍様と泰雅の母です。
いちばんの責任者はやはり将軍だといえますが、
将軍の言うなりになったときはまだ何も知らない少女だったとしても、
泰雅を生んだからには、もう一人の母親。
何故、母として子を守り通そうという気持ちにならなかったのか?
さて、この逸話にはモデルがあります。
実在した8代将軍吉宗は賢君として有名ですが、
この吉宗、実は5代綱吉の養女であった竹姫という姫君と
関係があったという噂があったようです。
更に竹姫は何度か大名家の若君と婚約したのですが、
その婚約者が次々と不幸にも死んでしまい、竹姫と婚約した男は早死にする
といわれました。
そうなんです、その竹姫がほんの少しですが、泉水のモデルになっています。
吉宗はそういう竹姫を哀れみ、それならいっそ自分が妻として御台所に
迎えてやろう、そんな気持ちで竹姫を妻に迎えると言ったらしく、
それが二人の間にやましいことがあったわように誤解されたのではと
いわれています。
余談ですが、流石に血縁関係はないとはいえ、身内同士の結婚はできない
と老中に反対され、吉宗諦めました。
吉宗は竹姫の嫁ぎ先を必死で探し、婚約者を取り殺す姫を迎えるのなら条件
があると色々と難題を付けてきた大名家の条件をすべて呑んで、
竹姫を嫁ぎ先に送り出してあげたとか。
竹姫が嫁いだ先の相手は既に再婚者、しかも正室の竹姫がこれから先、男児を
生んでも、先妻の息子を次の藩主にして、竹姫の子は世継ぎにはしない、など
かなり無茶な要求であったようです。
しかし、吉宗はすべてこれを受け容れました。
竹姫は嫁ぐ時、吉宗に泣いて別れを告げたといいます。
私の好きな歴史のエピソードです。
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