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東 めぐみ(結菜)さんの作者ニュース
本当にあった話!将軍様が現役尼僧を還俗させ愛妾に
さて、一つにまとめた方が良いかとは思ったのですが、
一つ目の続きです。
江戸時代の初期、三代将軍家光の時代のこと。
将軍が代替わりする際、ゆかりの名刹、つまりお寺の住職が
お祝いの挨拶にわざわざ江戸城を訪ねるという儀礼的な儀式がありました。
伊勢の慶光院という尼寺からは将軍の代替わりの度に
住職が挨拶に来ていて、家光が就任したときも
尼君が挨拶に来たそうです。
当時、住職になったばかりの16歳のうら若い尼君は
京の六条有純卿の息女、つまり公家のお姫様でした。
たいそう可憐で美しい少女であったため、家光はひとめ惚れしてしまいました。
―あの女が欲しいのじゃ。
普通、幾らキレイでもそこで諦めると思いますが、
生まれながらの将軍で、何でも思い通りにならないことはない人でしたから、
ワガママを通して、何と尼君を還俗させて自分の側室にしてしまいました。
尼君は挨拶に来たまま軟禁状態となり、ついに寺に帰ることもできなかったそうです。
この尼君が後に家光の寵愛を独占したお万の方です。
しかし、残念なことに、お万の方はついに家光の子を生むことはありませんでした。
一説には、家光の乳母、あの大奥の権力者春日局が京都の朝廷よりの公家出身
であるお万の方が次代の将軍の母となっては困る―と
お万の方に子どものできない薬をもったとかいう怖ろしい説も、、、
無理に還俗させられ、側妾にされた時、
家光は37歳、お万の方は16歳。
お万の方の実父六条卿は家光と同年の37だったそうです。
更に、正式に側室として夜を過ごした直後、六条卿にも
お万の方のいたお寺も
破格の金子が将軍から届けられたという記録もあるとか。
つまりは、お万の方は下世話な言葉を使えば、身売りをさせられて
しまったともいえます。
歴史好きの方なら、ご存じのこの話。
何か嘘のような本当の話ですが、
まさに事実は小説より奇なりを地でいく話ですね。
一つ目の続きです。
江戸時代の初期、三代将軍家光の時代のこと。
将軍が代替わりする際、ゆかりの名刹、つまりお寺の住職が
お祝いの挨拶にわざわざ江戸城を訪ねるという儀礼的な儀式がありました。
伊勢の慶光院という尼寺からは将軍の代替わりの度に
住職が挨拶に来ていて、家光が就任したときも
尼君が挨拶に来たそうです。
当時、住職になったばかりの16歳のうら若い尼君は
京の六条有純卿の息女、つまり公家のお姫様でした。
たいそう可憐で美しい少女であったため、家光はひとめ惚れしてしまいました。
―あの女が欲しいのじゃ。
普通、幾らキレイでもそこで諦めると思いますが、
生まれながらの将軍で、何でも思い通りにならないことはない人でしたから、
ワガママを通して、何と尼君を還俗させて自分の側室にしてしまいました。
尼君は挨拶に来たまま軟禁状態となり、ついに寺に帰ることもできなかったそうです。
この尼君が後に家光の寵愛を独占したお万の方です。
しかし、残念なことに、お万の方はついに家光の子を生むことはありませんでした。
一説には、家光の乳母、あの大奥の権力者春日局が京都の朝廷よりの公家出身
であるお万の方が次代の将軍の母となっては困る―と
お万の方に子どものできない薬をもったとかいう怖ろしい説も、、、
無理に還俗させられ、側妾にされた時、
家光は37歳、お万の方は16歳。
お万の方の実父六条卿は家光と同年の37だったそうです。
更に、正式に側室として夜を過ごした直後、六条卿にも
お万の方のいたお寺も
破格の金子が将軍から届けられたという記録もあるとか。
つまりは、お万の方は下世話な言葉を使えば、身売りをさせられて
しまったともいえます。
歴史好きの方なら、ご存じのこの話。
何か嘘のような本当の話ですが、
まさに事実は小説より奇なりを地でいく話ですね。
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