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影に抱かれて
第5章 甘く、苦い……
そして翌朝。
リュヌは箱馬車の前に立ち、生まれ育ったこの屋敷を後にしようとしていた。
この二頭立ての黒い箱馬車は、以前ジュールと伯爵と三人で、視察と称した冒険で町に行く時に乗ったことがある。ジュールの我儘によって実現したその小旅行は、伯爵家の外にあまり出たことがないリュヌにとって目にする物全てが珍しく、本当に楽しかったものだ。
なのに今は一人ぼっちで……と、そんな風に思うとまたため息が出た。
しかし、夫妻の目を盗んで見送りをしてくれる使用人が多いことには驚いた。
寂しい旅立ちだとばかり思っていたのに、中には泣いているメイドさえいる。内向的で、あまり人と関わってこられなかった自分をリュヌは恥じていた。
ジャンが一歩進み出て、リュヌの掌に包みを握らせる。
リュヌの持ち物はあの真鍮のロザリオと、この時ジャンが手渡してくれた心づけだけとなった。学園は私物の持ち込みが厳しく制限されているのだ。
「これは本当に困った時だけ使いなさい」
「ジャン……ごめんなさい……ありがとうございます」
ジャンへの恩を仇で返してしまう形になってしまったこともリュヌの心を苦しめていたが、ジャンが最後に見せてくれたのはあの温かい笑顔だった。