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kiss
第10章 hand
「何、この臭い……」
 コートを脱いでリビングに入った美浦が眉を潜める。
 もじもじと後ろめたそうな隼を横目にキッチンへと足を進める。
 俺はテーブルの上を片付けつつ、弁当を広げていた。
「わぁああ……」
 その気の抜けた声は、美浦が出したものだとわかるのに数秒かかった。
 隼が申し訳なさそうにキッチンに頭を下げる。
「失敗……しちゃいました」
「あははは」
 笑うしかない、そんな笑い声。
 気になった俺が覗くと、黒い塊と生クリームの山を前にした美浦がいた。
 す、炭?
 漫画でも見たことないぞ。
 あれをケーキという気か。
 溜め息を吐いた美浦が静かに隼に歩みより、手をすっと上げる。
 叩かれるとでも思ったのか、隼は眼を強く瞑った。
 だが、その手はゆっくりと頬に添えられただけだった。
 恐る恐る眼を開けた隼に美浦が囁く。
「よく出来たね、ハヤ」
 ふるふると。
 涙が溢れて堪らないというように。
 凄いなあ、美浦さん。
 俺は表情がまだ戻らないというのに。
 隼をよしよしと撫でて。
 ケーキを切り分けて皿に盛り付けて。
 俺の分もあるのかな、困るんだけど。
 冷蔵庫から炭酸ジュースと日本酒を取り出して。

「乾杯しよっか」
「俺もいて良いんですか」
「だって洋ちゃんの入社三ヶ月記念でもあるからね」
「あ……ありがとうございます」
 この人は……さらりと。
 感動したままグラスを触れあわせる。
 ごくごくとコーラを飲み干した隼におかわりを注いでやると、泣いていたことなどなかったように笑った。
「美味しいっ」
「西武の弁当だからね、スーパーのとは違うよ」
「あ、でも……」
 箸を止めた隼の弁当に美浦が箸を伸ばす。
「ハイ、煮物は食べてあげるから」
「直彦~」
 しかし奇妙なもんだな。
 上司を自分より十も下の子どもが呼び捨てしているのは。
「ん? 洋ちゃん箸止まってるけど人参食べれないの?」
「隼くんの前でそういう冗談やめてくださいよ、食べれます」
「あーっ、洋ちゃん¨ら¨抜き言葉いけないんだっ」
「いけないんだっ」
「あーもう……俺より前に美浦さんだってでしょう?」
 なんで美浦さんまではしゃいでるんですか……
 幸せそうに。
 日本酒で顔を赤らめながら。
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