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真珠浪漫物語
第13章 茶碗の中の嵐

竹子は昔話をするようにゆっくりと語り出した。
「…私の家は貧乏士族でね…ご維新前の動乱で両親が亡くなり、いよいよ立ち行かなくなって、まだ幼い弟や妹を護る為に自ら芸者になったのですよ。…辛いこともありましたけど、芸者になったお陰で御前にも巡り会えたし…私は自分の人生に後悔はありませんよ」
伊藤竹子は維新前、恋仲だった伊藤が攘夷派の襲撃を受けた際に、逃げてきた伊藤を自分の部屋の押入れに隠し、攘夷派の長州の隊士らを気丈に撃退した逸話を持つ女傑であった。
伊藤が入閣してからは内助の功を遺憾無く発揮し、平仮名を読むのもようやくだった学力で、津田梅子に教えを乞い、死に物狂いで勉強し、今では英文で手紙も書けるほどの実力を身につけたのだ。
竹子の知性とおおらかな人柄は明治天皇の皇后陛下のご信頼も厚く、何かあると竹子が宮中に呼ばれて、懇意に相談を受けていた。
若き閣僚や政財界の要人にも尊敬され「大磯のゴッドマザー」と密かに崇め奉られ、半ば引退した今でも竹子を頼り、大磯詣でをする要人は数知れない。
そんな妻竹子に対し、伊藤ははなから頭が上がらず、未だに妻の前では借りてきた猫のようであると微笑ましく噂されているほどなのだ。
「…私の家は貧乏士族でね…ご維新前の動乱で両親が亡くなり、いよいよ立ち行かなくなって、まだ幼い弟や妹を護る為に自ら芸者になったのですよ。…辛いこともありましたけど、芸者になったお陰で御前にも巡り会えたし…私は自分の人生に後悔はありませんよ」
伊藤竹子は維新前、恋仲だった伊藤が攘夷派の襲撃を受けた際に、逃げてきた伊藤を自分の部屋の押入れに隠し、攘夷派の長州の隊士らを気丈に撃退した逸話を持つ女傑であった。
伊藤が入閣してからは内助の功を遺憾無く発揮し、平仮名を読むのもようやくだった学力で、津田梅子に教えを乞い、死に物狂いで勉強し、今では英文で手紙も書けるほどの実力を身につけたのだ。
竹子の知性とおおらかな人柄は明治天皇の皇后陛下のご信頼も厚く、何かあると竹子が宮中に呼ばれて、懇意に相談を受けていた。
若き閣僚や政財界の要人にも尊敬され「大磯のゴッドマザー」と密かに崇め奉られ、半ば引退した今でも竹子を頼り、大磯詣でをする要人は数知れない。
そんな妻竹子に対し、伊藤ははなから頭が上がらず、未だに妻の前では借りてきた猫のようであると微笑ましく噂されているほどなのだ。

