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月の川 〜真珠浪漫物語 番外編〜
第6章 あの月の頂で
縣が再び北白川伯爵の書斎の扉をノックしたのは、それからほどなくしてのことであった。
伯爵は優雅な仕草で細巻き煙草を燻らせ、ブランデーを嗜んでいた。
「失礼いたします。伯爵」
縣は少年のようにやや紅潮した顔で、伯爵の前に立つ。
「礼也君。梨央とは話せたかな?」
伯爵はなにもかも見透かしたような微笑を浮かべた。
「はい。伯爵、いずれ正式にお願いに参りますが…取り急ぎ、ご報告いたします。
…梨央さんに結婚の申し込みをいたしました。」
伯爵の背後に控える狭霧が静かに月城を見た。
伯爵のその美しい瞳がきらりと輝く。
「ほう…。で、梨央の返事は?」
「…考えさせていただきたいとのことでした。
私は梨央さんのお気持ちが固まるまで、いつまでもお待ちいたします」
陽気な笑い声を伯爵は上げる。
「なんと!…辛抱強い王子様だ」
そして、しみじみとした優しい声で続ける。
「…礼也君のように素晴らしい青年に護られ、愛される梨央は幸せ者だ。…私が不在の間、梨央が何の懸念もなく無事に成長してこられたのは後見人の君のお陰だ。ありがとう、礼也君」
「いいえ。とんでもありません」
「結婚は梨央の意思を尊重したいと思っている。
…梨央は同じ年頃の娘より繊細で臆病なところがある。新しい生活に入ることに不安を感じているのかもしれない。…この屋敷以外の生活を知らないからな」
「はい、伯爵。私は誰よりも身近で梨央さんをお護りしたいのです。だからプロポーズいたしました。
…梨央さんのお心が定まるまでお待ちいたします。梨央さんには焦らずに決めていただきたいのです」
伯爵は手を差し出す。
そして縣と固く握手を交わしながら
「ありがとう、礼也君。私の目に狂いはなかったな」
「恐れ入ります」
と、笑い合った。
「ディナーを一緒に食べて行き給え。今夜は春さんが腕によりをかけた、ロティサリーチキンだそうだ。
あれを食べると他のものが食べられなくなるほどだよ」
伯爵の砕けた口調に同調して笑いつつ、
「春さんのロティサリーチキンには後ろ髪を引かれる思いですが…生憎このような格好ですので、今夜は失礼いたします」
と両手を広げてみせた。
テーラードジャケットでは晩餐に礼を欠く。
縣は優雅に一礼すると、潔くその場を辞した。
見送りの為に月城が後を追う。

「…実に完璧な青年だな」
伯爵は感心したように微笑みながら首を振った。


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