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サキュバスちゃんの純情《長編》
第9章 記憶と記録
嵐が来た。
穏やかな海が荒れ、船が激しく揺れる。診療所は休みにし、急患だけ受け入れることにした。
昼、ミチさんが診療所にずぶ濡れでやって来た。叡心はいるか、と尋ねてきたが、叡心は来ていない。そう告げると、ミチさんは泣きながら、叡心が死ぬかもしれないと訴えてきた。
嫌な予感は的中する。
船着き場から、叡心が荒れ狂う海に身を投げそうだと連絡をもらう。駆けつけたが、遅かった。叡心の体が、波にさらわれ、沈みそうになっていた。
取り乱し、半狂乱になって海へ飛び込もうとするミチさんを羽交い締めにして、漁師に縄を投げ込むよう指示をしたが、漁師は無駄だと言って投げ入れない。あとで、縄を投げ入れても叡心は受け取らなかったのだと聞いた。
叡心の頭が波間に消えた。ミチさんが泣き叫ぶ声が、頭から離れない。あんな悲しげな声、聞いたことがなかった。
もう助かるまいと漁師が呟いた声が聞こえたらしく、ミチさんは気を失った。
ミチさんを連れ帰り、着物を着せ替えたあと、いつも使っていた離れに連れていき、布団に寝かせた。
叡心は死んだ。その妻は私のもとにある。
叡心から、ミチさんのことを頼まれている。
私はようやく、ミチさんを手に入れたのだ。
けれども、友を喪った悲しみのほうが勝るのか、ミチさんを抱く気にはなれなかった。
嵐が停滞したせいで、叡心の亡骸は上がらなかった。ただひっそりと、懇意にしていた寺で読経してもらい、供養してもらった。
ミチさんは、あれからずっと離れで生活している。ただ、生きている、だけだ。食事も摂らず、泣き暮らしている。
そのミチさんを毎日抱いて、毎日、孕んで欲しい、と願っている愚かな男が私だ。静かに泣く女を抱いて、笑って欲しいと願い、泣かないで欲しい、私を見て欲しいと願っている。
愚かだ。
ミチさんに叡心の遺言を伝えても、信じてもらえない。私はミチさんからは信用されていないのだと痛感する。
どうすれば、信じてもらえるのか。
どうすれば、夫婦になれるのか。
どうすれば、笑ってくれるのか。
叡心、どうすればいいのか、教えてくれ。