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サキュバスちゃんの純情《長編》
第11章 幸福な降伏

 振り向けない。荒木さんの顔をまともに見られるとは思えない。
 あのとき、少しでも歯車が違えば、順番が違えば、たぶん、私は荒木さんを受け入れていた。
 翔吾くんのことがなければ、私は荒木さんをセフレに加えていたはずだ。

 後ろめたい気持ちがあるからこそ、私は荒木さんを直視できない。

「……ごめんなさい」
「あかりさんが泣く必要ないでしょ」

 でも。だって。

「フラレて泣きたいのは俺のほうだよ」

 確かに、私が先に泣いてしまったら、荒木さんが泣けないよね……すみません。
 差し出されたハンカチを受け取ろうと振り向いた瞬間に、キャビネットが揺れた。

 両手首がキャビネットに押し付けられて、手の甲が冷たい。背中も冷たい。手首だけが、熱い。
 目の前に、荒木さんの、困ったような笑顔。切なく歪められた、笑顔。

「……なんで、私、なんですか」

 離してください、とは言えなかった。叫んで助けを呼ぶこともできなかった。
 均衡が崩されてもなお、荒木さんを傷つけたくなかった。綺麗事だと、わかっているけれど。

「なんで、だろうね」
「私じゃないといけない理由なんて、ないですよね」
「うん、確かにそうだね」

 これ以上は、ダメだ。聞いてはダメだ。逃れられなくなる。
 手首が熱い。火傷してしまいそうなくらい。

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