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暁の星と月
第7章 愛と哀しみの円舞曲
資生堂パーラーを出た頃には空は薄曇り、風が出て来ていた。
車を呼びに行った絢子の乳母を待ちながら停車場近くに立っていると、向こうから勢いよく人力車が駆け抜けてくるのが見えた。
「…こちらに…絢子さん」
大紋は、咄嗟に絢子を庇うようにその肩を自分の方に引き寄せた。
絢子の薄桃色の革草履のつま先が歩道の溝に引っかかり、つんのめりそうになるのを、大紋が素早く抱きとめる。
「大丈夫ですか?」
気遣う大紋に、絢子はふいに息を止めると男の胸に強く抱きついた。
はっとして引き離そうとする大紋に、絢子は離れまいとするかのように、ぎゅっとジャケットを握りしめる。
「絢子さん…」
「…浅ましい女と思われても構いません!絢子は…絢子は春馬様が好きです!愛しています!…他の方ではだめなのです!春馬様でないと…絢子は…」
「…絢子さん…」
心の底からの魂の叫びのような言葉に、大紋は一瞬心を動かされた。
絢子は大紋の胸の中から凄烈な眼差しで見上げる。
「…春馬様、お願いです。絢子と結婚して下さい」
大紋は驚きに眼を見張る。
「絢子さん…!何を…」
「…そのお方とはご結婚できないのでしょう?…でしたら私と結婚して下さい。…絢子は春馬様に愛されなくても構いません。お飾りでも名前だけの妻でも良いのです。春馬様のお側にいられるのなら、愛されなくても構わない…!」
「…絢子さん、落ち着いて下さい」
大紋はなんとか絢子を宥めようと、腕を柔らかく抑える。
「落ち着いています!春馬様はずっとそのお方を愛していらして良いのです。ただ…ただ、絢子をお側に置いて下さい…お願いします…お願い…」
あとは泣き崩れる絢子に、大紋は幼子を諭すように口を開いた。
「絢子さん。そのような二人共、不幸にするようなことを私にはできません。申し訳ありませんが、私のことは今日限りお忘れ下さい。それが貴女の為なのです」
「春馬様!」
絢子が泣き叫ぶ。
「…お、お嬢様…」
車を呼びにやった乳母が背後でおろおろと様子を伺っていた。
大紋は乳母に絢子を丁重に引き渡すと、誠意を込めて託す。
「絢子さんをよろしくお願いいたします」
「…大紋様…」
涙ぐむ乳母の腕から絢子が飛び出そうとするのを慌てて車から降りてきた運転手が止める。
「春馬様!嫌!嫌です!」

絢子の悲痛な叫び声を聞きながら、大紋は心を鬼にして、その場から足早に立ち去ったのだった。
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