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愛してるから罪と呼ばない
第1章 逃避行

「どうかしたの、香凜さん」
「美衣子さんが好きになった人は、どんな人だったのかなって。お義父様以外に。ふと気になったんです」
「話したら、香凜さんに申し訳ないわ」
「私もお話しします。片想いくらいは、昔も経験していたので……」
美衣子が朗らかに微笑んだ。
…──私は妬くかも知れないわ。
「良いわ。私達にはいくらでも時間がある。お互い知らなかったことを、ゆっくり知っていきましょう」
聞き馴染んだ着信音が美衣子のバッグから流れたのは、前方に開けた売り場が見えた時のことだ。
「誰かしら」
美衣子について通路の端に身をよけて、香凜も手持ち無沙汰にスマートフォンを引っ張り出す。
メールの受信ボックスを開くと、ダイレクトメールやニュースばかり届いていた。ラインが主流の昨今、メールアドレスなど持っていたところで、各企業の広報部員達に仕事を与えるだけではないか。もっとも、それで香凜が迷惑しているわけではないし、彼らも仕事が貰えるのだから、なくせとまでは言わない。
とるに足りない雑念を巡らせていると、ふと、香凜は美衣子の切迫した声音に気づく。雑音の交わるスーパーマーケットの片隅で、凛としたその声もかき消えがちだが、その声音は片岡家にいた時分の彼女を彷彿とするしおらしさも含んでいた。
「…──分かって頂戴。ごめんね、本当にごめんね。あなたのことは愛してる。今にも会って抱き締めたいし、あなたがいなければ私は──……」
目の前が真っ暗になった。
それからあとの香凜の記憶は、ぷつりと絶えた。
仮にも初恋の男一人、満足に愛せないで、ろくに彼との終止符も打てないで逃げ出した。そんな人間に他の女を、しかもこうも魅力的な女を愛して、本気で愛されるはずがないのだ。
身のほどをわきまえるべきだった。わきまえるべきだったのに、香凜とて誠二や舅らと同じ人間だ。自分が可愛い。控えめな表層を装っていても、思い通りの嚮後を望む。

