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サイレントエモーショナルサマー
第10章 強制エンカウント
◇◆
会社の近くに新しく出来たバルに行こうという浩志の申し出を断って帰路に着く。一刻も早く帰宅したかったのに会社を出たのは21時を過ぎた頃だった。
早く自宅でシャワーを浴びたい。藤くんのパンツは落ち着かない。悶々としながら駅へと急ぐ。周囲を行き交う人々は酒に酔って陽気な声をあげていたり、下を向いて歩いていたりする。人波の中、駅に近づき階段を下りようとすると不意に腕を掴まれた。
「…やっぱり志保だ」
驚いて腕を振り払う。顔を上げれば、6年間亡霊となって私の前に現れては消えていた人が実体を伴って立っている。
「あ、きら……?」
見たことがないスーツ姿ということは彼はまともに働くことを覚えたらしい。ジャケットは脱いで鞄と共に持っている。
心臓が早鐘を打つ。まずい。この人とこれ以上言葉を交わしてはいけない。逃げなくては。
何故そう思ったのかは自分でも分からなかった。ただ、もう一度こちらへと伸びてくる手をすり抜け、駅とは反対方向へ駆けだした。
オフィスビルの建ち並ぶ区画を駆け抜けると辺りは急速にひっそりとした空気に包まれる。まばらに建つビルに囲まれた簡素な公園は市の注意喚起虚しく昼間は近所の会社員たちの喫煙所になっているらしい。
もつれて倒れそうになる足を叱咤して公園に駆け込んだ。ベンチに倒れるように座り乱れた呼吸を整える。
浩志と飲みにいけばよかった。ああ、それか残業なんてしなければよかったのか。
あの人を完全に撒くことが出来たかは分からない。恐ろしく足の速い人だったのが追いついてきていないということは撒けたのかもしれない。
誰かに縋りたかった。震える手でスマホを引っ張りだし、迷わず浩志の番号を呼び出す。指がかたかたと震えて上手く操作できないのは恐怖の所為なのか。