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サイレントエモーショナルサマー
第19章 Renatus
胸の内で頑張れよとエールを送り、会社を出た。藤くんのことだから仕事が終われば電話を寄越してくるだろう。基本的に私たちは同時に会社を出るということはしない。藤くんの家に行く時は大抵彼が先に会社を出て彼の自宅アパートの最寄駅で落ち合う。

数日、藤くんの家に泊まらせてもらうとなると毎朝自宅に戻るのは面倒だ。だからと言って毎日彼のパンツを穿く訳にもいかないし、流石に洋服だって着替えたい。一度、自宅に戻って荷物を纏めよう。そう思って、彼のアパートへ向かう時とは逆方向の電車に乗った。

『志保さん、今どこですか?』

俺、会社出たとこです、と電話があったのは自宅に到着し、大きめのボストンバックを引っ張りだしたばかりの頃だった。思っていたよりも早く解放されたらしい。どうしたものか。

「ごめん、藤くん時間かかるかなって思って1回家に帰ったんだ。あの、ほら、服とかちょっと取っておこうかと」
『最寄どこでしたっけ?俺、迎えに行きますよ。荷物多いでしょ』
「ううん、大丈夫。タクシーで行くし。あ、なんか食べるもの買っていこうか」
『……荷物は口実で志保さんの家に行ってみたいんですけど、ダメですか』

いつか、藤くんがそう言いだすだろうとは思っていた。私は、セックスをした人は自宅にはあげない。だが、藤くんなら、と思う自分が居る。藤くんにならもう少し見せていなかった部分を見せてもいいのかもしれない。逡巡の末、自宅最寄り駅と簡単な道順を伝えて通話を終え、なんとなく荷物を纏めるのは中断してソファーに沈み込んだ。

もし、私が普通の感覚を持っていたら藤くんをひとりの男性としてとても魅力的に感じたと思う。容姿もさることながら彼はよく人の機微に気付くことが出来るし、素直さや明るさ、優しさなどを持ち合わせており、人間としての魅力は一級品である。

― でもなぁ…

不安、なのだろうか。彼は私に夢を見ている。私はまだ藤くんの前では全てをさらけ出していくことは出来ていない。どうしようもない部分は十分知られているけれど、私がどういう風に物事を考えて生きているのかまでを見せる勇気が、ない。

― なにびびってんだよ、自分…

無性に叫びだしたいのを堪えて足をばたつかせる。くそう。なんだ。考え事の中心に藤くんが来るとペースが乱れる。
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