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サイレントエモーショナルサマー
第28章 malinconia
食器を洗う私の傍らで歯を磨き始めた彼は、荒療治が、猫プレイが、とぶちぶち言っている。分かった分かった、と返せば、私が仕事モードのツン状態に入るのが早すぎると口を尖らせた。
コスプレを買いに行こうとしつこい藤くんをいなしながら朝の支度を終え、家を出る。なんだか未来の予行演習をしているみたいだ。一緒に家を出て、会社に行って、帰る時間は別々だったり、そうじゃなかったり。でも、同じ家に帰ってくる。
晶と共に暮らしていた頃は、行ってきます、にも、ただいま、にも返事はなかった。眠りについた彼を尻目に家を出て、帰宅するころには彼の姿はない。藤くんと過ごすようにただ寄り添うということもなかった。
― この感じ、結構いいな
幸せというのはこういう些細なものなんだろうか。おかえりなさい、と微笑んで私を抱き締めてくれる藤くんの顔がふわりと脳裏に浮かぶ。彼は隣を歩いているのに変な感じだ。
駅に着き、なんとなく電車を一本ずらすことになった。私が先に乗ることになり、別れ際、目的地は一緒なのに彼はいってらっしゃいと私に手を振った。
どんな顔をして浩志に会えばいいのだろう。なんとも言えぬ感情を胸に笑顔を張り付けてフロアに顔を出すとちらほらと社員たちが居るが、浩志の姿はない。
「おお、都筑」
浩志のデスクにそっと土産の菓子の箱を置いて、ごそごそと他の社員たち用の土産の箱を空けていると部長がひらひらと手を振りながらこちらへ寄ってくる。さっと書いたメモを箱に貼りつけながら立ち上がって頭を下げた。
「あ、おはようございます。休暇、ありがとうございました。お土産のせんべい出しときますね」
「俺、甘いのが良かったわ」
「はは…次があれば覚えておきます」
「頼む。ああ、それと、お前今週から倉庫番、津田に引き継いでくれ」
― ん?
聞き間違えだろうか。確かに私が押し付けられている倉庫番は1年目や2年目の若手の仕事で、中途採用の私が入った時の1年目の社員があまりにミスの多い子だった所為で私が継続しているだけだ。
昨年、ミヤコちゃんが入ってきて彼女に引き継ぐことになると思っていたのだが、部長は都筑に任せておいた方が安心だからと引き継がせなかった。