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サイレントエモーショナルサマー
第29章 accelerazione
― 平和だな
ふたりの後姿をみながらふと思う。くすりと笑えば同時に振り返って、浩志は笑ってんじゃねえよ、と口を尖らせる。ごめん、と言ってふたりの間に割って入る。私たちを見ている遠い視線になど微塵も気付かず、デスクに戻って仕事に勤しんだ。
途中、腹部の違和感を覚えコンビニに行ったこと以外は前日と変わらない一日だった。昼はやはり3人で食事を取って、藤くんを会社に戻し社外業務に出る。今週は各所へのあいさつ回りを兼ねていて社外に居る時間を長めに取っているようだ。
社外に出てみると浩志は少し口数が減ったが、そこまで気にはならなかった。ちゃんと眠れてるか、と声をかけてくれるとほっと気持ちが落ち着く。大丈夫だよ、と返せば、彼はそうか、よかった、と微笑む。その顔を見るとまた胸の奥がじわりとあたたかくなった。変だ。今日はまだコーヒーを飲んでいないのに。
会社に戻ってからはミヤコちゃんを連れて倉庫にこもる。彼女は覚えが早いのでありがたい。耳に馴染んだあのノックの音が聞こえないのは寂しかった。
作業を終えてフロアに戻る前にお手洗いに寄っておこうとミヤコちゃんとはフロアの入り口で別れる。給湯室の前を横切ってそのままお手洗いに入ろうとすれば、ぐいと腕を引かれた。声をあげる間もなく力強く抱き締められる。
「…捕まえた」
「こら、また浩志に怒られるよ」
さっと視線を巡らせると藤くんはお茶かなにかを用意していたところらしい。運よく私が横切ったので捕獲したのだろう。首をひねって藤くんの方を振り返る。にこりと笑った顔は久しぶりに見たような気がする。
「ひ、人が来る…」
「足音したら離すんで」
「だめだって…キスしたくなる」
「しましょうよ。俺もしたい。キスだけじゃ足りないですけど」
くるりと身体を反転させられ、背中を壁へと押し付けられる。ダメだよ、と言ったのに彼の口はその声を飲み込んで、舌を捻じ込んでくる。
藤くんの二の腕を掴んで、押し返そうとしても彼の身体はぴくりとも動かない。空いた手をすっと服の中に滑り込ませて、素肌を撫でた。
「……抱きたいです。志保さんにもっと触れたい」
唇を離して、切なげな顔で言うのはずるい。