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サイレントエモーショナルサマー
第7章 erosione
ふと隣に人が立つ気配。顔を上げれば余所行きの顔の藤くんが立っている。男は藤くんを見上げ、不格好に吊り上げた眉を更に顰める。
「この女がぶつかってきて俺の服が汚れたんだよ。お前彼氏なら責任とってくんねーかな」
そんな安っぽいTシャツなど洗えばよかろう。良く見てみろ私の方がジュースまみれだ。何故、そこまで怒るのだ。責任ってなんだ。というか藤くんは彼氏ではない。
色々と考える私など歯牙にもかけず、藤くん相手に噛みつきながら男の視線はちらちらと片手のスマホへと向かう。僅かに見えた画面から察するになにかしらのゲームの状況が気になるらしい。
「いい歳こいてゲームしながら歩いてるやつに取ってやる責任なんかねえよ。その前に俺の女恐がらせた責任取って貰おうか」
余所行き笑顔だった藤くんの思いがけない発言にぎょっと目を見開く。え、と私が声を出す間もなく藤くんの手は男のTシャツの胸倉を掴んでいた。
藤くんは部のアイドルで、怒った顔なんて一度も見たことがなかった。前に浩志と藤くんが怒っても迫力がなさそうだと話した記憶が脳裏を過ぎる。
そんなことはないじゃないか。感情を欠片も見せない冷めた目と、結んだ唇。男の胸倉を掴みあげ、身長差のあるそいつの身体が浮かんばかりに力を入れる手首は筋が張ってぎりりと震えている。
「おい、なんとか言えよ」
「ひっ…!」
「いや、もういい、もういいから」
なんて声を出すのだ、と思った。この人は藤くんの双子の兄か弟とかそういうパターンなのだろうか。慌てて藤くんの腕に触れるとぱっと手を離す。その隙を見て男は肩からずり落ちた革ジャンを拾い上げるとドアの閉まる寸前の電車に滑り込んで私たちの前から逃げ去った。