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Quattro stagioni
第12章 スタンダールの幸福 Ⅶ♡
フロアに行く前にトイレに寄って置こうと滑り込む。俺の少し前に藤がやってきたところらしかった。俺に気付くと、にこりと笑って、お疲れさまです、と言う。こいつの悪意を感じない笑みを見たのは酷く久しぶりのような気がする。いや、ひょっとすると初めてかもしれない。
「…おう。お疲れ」
「俺、やっと分かってきました」
「……なにが」
「志保さんって大事な人、みんな並列なんですよ。カテゴリーで別れてるっていうか…俺は俺であの人にとって特別で、中原さんは中原さんなんです」
「………で?」
「正直、今でも羨ましいです。志保さんと中原さんの間には確かな絆みたいなのがある。だけど、あの人が男として見てるのって俺だけなんですよ」
「…だから、なにが言いたいんだ」
「さあ?とりあえず、いつ、男になる時が来てもいいように準備しといた方がいいんじゃないですか」
結論と前置きが全く繋がっていやしねえ。すっきりした顔つきになったのは用を足したからだけではないだろう。じゃあ、そういうことで、と去っていこうとする藤は二の句が継げなくなるほど爽やかでなんともいえない気持ちになる。
お前に言われなくたって分かってる。言いたかった台詞は藤に届くことなく、洗面台の排水溝に吸い込まれていった。
午後の仕事に取り掛かりながらも、頭の中ではいつ、森に予定を聞くかがちらちらしていた。そっと左隣を盗み見る。どことなく難しい顔でPCの画面と手元の書類に視線を往復させている。もし、相手が村澤さんや都筑なら、今晩飲みに行かないか、とでもさらりと言えただろう。
おい、自分。女々しすぎるだろ。定時が差し迫った頃、思わず溜息を吐くと森が俺の方を向く。視線が合えば、不満顔。それでも、じっと目を見つめると頬を赤らめ、照れくさそうな顔をする。
ごくりと唾を飲み込む。今、言わずしていつ言えというのか。だらだらと先延ばしにしていれば、この先もなにも言えず、機会を逃し続けるのだろう。そんなのはもう、嫌だ。