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Quattro stagioni
第12章 スタンダールの幸福 Ⅶ♡
「なあ、森、」
「中原!お前、今夜空いてるか?」
はい、と森が答えかけたその時、ゴリラの声が割って入ってきた。いい加減、タイミングというものを覚えてくれ。いや、でも、部長に押し付けられたあの視察がなければ、都筑と話をすることも、森の気持ちを知ることもなかったのだった。
「…いや、今日はちょっと」
「そうか…森はどうだ?」
「あ、わたしは今日、友達と約束が…」
「じゃあ、都筑。お前は?」
「珍しく非常にご一緒したい気分なんですけど…えーっと、今日は速やかに帰宅せよと…」
都筑の顔が引きつっている。月曜の時点では藤の奴も加減して、週末に持ち越したとかそんなところだろう。一先ず、部長は清水を確保して俺たちのデスクの島からは離れていった。そろそろ飲みに連れ回すのも俺ではなく若手にしてもらいたいものだ。
思いがけず、森に今夜の予定があるとしてしまった所為で、俺のささやかな決意はぱらぱらと砕けていく。ああ、くそう。あのゴリラめ。やり場のないもどかしさと怒りは津田たちのデスクの島で犠牲者を捕まえようとしている部長の背中にぶつけた。
項垂れている俺を余所に、PCの電源を落とした森は手際よく日報を書き始める。この作業も8月いっぱいまでで終わる。9月も半ばを過ぎれば、一応は教育担当としての役目を終える予定だ。日報を書き終えると、おずおずとノートを俺に差し出して、おつかれさまです、と帰っていこうとする。なにも言えず、いつも通り送り出す。
「………」
このままで、良い筈があるか。勢いよく立ち上がり、フロアを抜ける。エレベーターホールに華奢な後姿。それが見えたと同時にエレベーターが到着し、他の社員たちに紛れて森が乗り込もうとする。
慌てて駆け寄って細い腕を掴んだ。はっと振り返った顔。丸い瞳が驚きに揺れている。こちらに引き寄せると、ゆっくりとエレベーターの扉が閉じて1階へと降りていった。