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Quattro stagioni
第6章 スタンダールの幸福 Ⅰ
森美月本人も抵抗はないようで、一先ずそこで納まった。みづき。口の中で転がした音は長いこと呼んでいた苗字とよく似ていてどこか苦い気持ちになる。
「じゃあ、俺もケンシロウって呼んでください。都筑先輩」
「……暑苦しいな」
藤たちの元を離れ、使うことになるデスクまで連れてくると清水は晴れやかににかっと笑って都筑に言った。なんでもいいよ、と言いたげな顔をして中断していたデスクの引っ越し作業を再開する都筑は初めて持った直属の後輩との接し方を早くも決めたらしい。
「あ、美月ちゃん、ごめんね…すぐ残りの荷物移すから」
「いえ、大丈夫です…」
新人二人のPCは午後に設置される予定になっている。午前中は部の雰囲気を見させるつもりなのだろう。朝一番で今日は作業他の奴らに回して会社の近く散歩してこいなどと言っていた部長の顔が脳裏を過ぎった。くそう。あのゴリラめ。俺はともかく、都筑が動かなければ業務は確実に遅れることになるのに。
都筑の荷物がすっかり片付いた隣のデスク。これから森が使っていくことになる。左隣に常にあった気配が向かい移っただけなのに、何故だか無性に寂しく思う自分に驚いた。
そこからは適当に社内外を案内して回ろうということになった。凡そひと月に亘り、全社研修を受けていた彼らが社内は大会議室の場所しか分からないと言ったからだ。時間をかけて社内を回って、そのまま昼休憩に出ようという都筑の提案に乗った。
「えーっと、あれかね、す、好きな食べ物とか…聞いた方がいい感じ?」
「俺、何でも食べられます」
「あ、そう。じゃあ君はいいや。美月ちゃんは?」
都筑志保という女はこういう些細なことが出来ない女だった。とにかく他人に関心がなかったのだ。昼飯を食べに行こうという話になって、人の好みを気に掛けるようになったなんて奇跡が起こったと言っていい。まあ、清水の扱いは早速ぞんざいな気がしないでもないが、清水は大丈夫だろう。
「えっと…パ、パンとかで…」
気持ち悪いくらいにこりと笑って森に詰め寄る都筑。それに答えた森の声は成人女性とは思えないくらいたどたどしい声だった。