この作品は18歳未満閲覧禁止です
- 小
- 中
- 大
- テキストサイズ
Quattro stagioni
第8章 スタンダールの幸福 Ⅲ
まだ2本目の煙草は長かったが、これ以上吸う気になれず灰皿に押し込む。はあ、と深い息を吐くと都筑は俺との距離を詰めた。腕を引けば、抱き締めることも出来る距離。自分は独りきりだと言うように強がっていたこいつを初めて抱き締めたとき、想像以上の華奢さで力加減がよく分からなくなったことを思い出す。
「ねえ、」
「……」
「元に、戻ったと思ってる?」
「は?」
「私たち、戻ってないよ。全然、戻ってない。ていうか、戻れる筈ない。私は浩志に言えないことが増えていくし、浩志も私にはなにも言えなくなった」
「…今までみたいで居たいって言ったのはお前だろ」
「あの時と、今じゃ違うよ。今まで通りのフリはもう辞めよう。意味ないよ」
それを、どうしてお前が言うんだ。俺の台詞だろう。お前ばかり先に進んで行ってしまうのか。
「なんで、」
「…え?」
「なんでそうなるんだよ!」
張り上げた大声。がしゃん、と嫌な音を立ててスタンド式の灰皿が倒れた。足元から上ってくる吸殻の不愉快な匂い。
「浩志のことが大事だから、私なりに考えて…、」
「中途半端に情けなんかかけんなよ。俺が大事?ふざけんな。そんな優しさいらねえよ。もっと無神経で居てくれよ。そしたら…それだったら…俺は、」
もっと、こいつが酷い奴だったら良かった。それなら俺だってさっさと見切りをつけることが出来たのに。都筑なりの下手くそな優しさが胸に突き刺さる。知っている。俺は充分知っているのだ。都筑は一度懐に入れた人間には優しさも情もかけ続けるやつだ。
言葉少なくとも俺の考えていることを都筑が理解していると気付いたとき、嬉しくて仕方がなかった。僅かな表情の変化で都筑がなにを思っているのか分かるようになったときも同じだ。
「浩志じゃない人を選んだら大事に思うことも許されないの?そんなの間違ってる」
きっぱりと都筑が言う。真っ直ぐ俺を射抜く瞳。こんなに力強い色をしていただろうか。こいつを強くしたのは藤なのだろう。ああ、ちくしょう。あいつさえ、居なければ。思うと同時にそんなことを考える己の小ささにも腹が立った。