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夏の華 〜 暁の星と月 Ⅱ 〜
第9章 さよなら、初恋
「…こんな店しかなかったのか…?」
月城が眉を顰めながら小声で泉に尋ねる。
「ないよ。カフェは渋谷まで出ないとないからね。いいじゃないか。別に。兄さんだって珈琲が飲みたかった訳じゃないだろう?」
泉は澄ました貌で答えた。
兄は相変わらず苦虫を噛み潰したような表情をしながら、この誰よりも場違いな店を忌々しそうに見渡した。

「内密な話が出来る店はないか?」
と兄に尋ねられ、泉は神社の参道の入り口にあるあの甘味処に案内した。

まだ松の内なので店内はそこそこ賑わってはいるが三が日ほどではない。
二組ほどの若い女学生風の客がいるだけだ。
その女学生らは先ほどからちらちらと月城と泉に視線を送りながら恥ずかしそうに耳打ちし合っている。

…それも無理からぬことだろう。
泉もすらりとした洗練された美男子で充分目を惹くが、兄、月城のその辺りを払うようなオーラと存在感は群を抜いている。

濃紺のカシミアの細身のコートは恐らくは北白川伯爵に下賜されたものだろうが、その下に着たブラックのスーツ姿はまるで西洋の紳士のように洒落ていながら品位があり、また禁欲的な色気を醸し出しているのだ。

兄も勤務明けらしくその艶やかな黒髪はきちんと撫でつけられ、白い額には一筋の乱れもない。
細いフレームの眼鏡の奥のひんやりとした切れ長の瞳、貴族的な美しいフォルムの鼻筋、やや薄い形の良い唇…。

四十も半ばを過ぎた男とは到底思えぬほどの端麗で透明感すらある近寄りがたい美貌に、泉は己れの兄ながら一瞬見惚れてしまったほどだ。

…まあ、確かにここは兄貴には不似合いな店だな…。
こっそりと心の中で笑う。

しかしすぐに…
…司様は…可愛らしかったな…。
甘酒とみたらし団子を嬉しそうに無邪気に口にしていた。
その無垢な笑顔を思い出し、泉の胸は締め付けられるような甘い痛みで一杯になる。

「…ここは屋敷に近いけれどその分、職場の人間達はまず来ないから安心なんだよ。…ここの甘酒は美味いよ。甘党じゃない兄さんの口にも合うと思うけれど…」
泉に勧められ、月城は渋々と甘酒を一口飲んだ。

ふっと、氷の人形のような美しい貌に柔らかな色が浮かぶ。
「…母さんの甘酒の味に少し似ているな…」
その口調は以前の兄のままで…泉は思わず口元を綻ばせた。
「俺もそう思った。…凛が好きだったよな、甘酒…」
二人の間に懐かしい空気が流れる。
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