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夏の華 〜 暁の星と月 Ⅱ 〜
第12章 その愛の淵までも…
…月城…!

夕刻、執務室の机に向かっていた月城ははっとペンを止め、耳をすませた。
自分を呼ぶ暁の声が聞こえたような気がしたのだ。
…暁様…?
だがもちろん、暁の声であるはずがない。
廊下から聞こえるのはメイドたちの密やかな話し声だけだ。

月城は頭を振り、人知れず溜息を吐いた。
…あの日以来、ずっと暁様のことを考えているから…幻聴が聞こえたのかもしれない…。

数日前、月城は暁に会いに行く為に縣男爵家を訪れた。
暁に会い、自分の不在により彼を不安にさせたことを詫びたかったのだ。
暁が言いかけていたことも尋ねたかった。

暁に面会を求める月城に、大層渋い貌をする礼也を宥めてくれたのは光だった。
「暁さんは庭園にいらっしゃるわ。早く仲直りしていらっしゃい」
光は蠱惑的な美しい瞳でウィンクして笑ってみせた。

月城は暁を探し、広大で美麗な庭園を歩き回った。
…と、庭園奥の温室に差し掛かり、一枚硝子の窓越しに暁の美しい姿が映し出されているのが見えた。
足早に近づこうとしたその瞬間、暁の前に佇む人物に気づく。

…大紋様…。
暁のかつての恋人の大紋春馬だ。
月城の胸に苦い思いが広がる。
…大紋は月城が唯一、男としての自信を喪わせる存在であった。
暁が初めて恋をし、その身を委ねたただ一人の男だからだ。
月城は二人がどれだけ愛し合っていたかを知っている。
愛し合っていながら、別れざるを得なかった経緯も知っている。
…運命のいたずらさえなければ二人は恐らくは今も、目の前に現れているような姿…世にも美しい恋人同士であっただろう。
それが月城を遣る瀬無く苦しい思いをさせる。

…更に、昔の記憶が蘇る。
かつて北白川家の温室で、二人が狂おしく愛し合う姿を図らずも目撃したのだ…。
激しく暁を求める大紋に、暁は甘くしなやかに応えていた。
…月城と眼が合っても、艶やかに淫蕩に微笑った…。

胸苦しい膿んだ妖しい記憶が蘇り、月城は思わず瞼を閉じた。

…昔の話だ。
今は二人が何の関係もないことは、月城は百も承知だった。
大紋は今では妻を深く愛しているようだし、暁も月城をいじらしいほどに愛してくれている。
…分かっている。
分かっているが、胸に宿った小さな嫉妬の種火を消すことができなかった。

…月城は能面のような表情で、温室の扉をゆっくり開けたのだった。




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