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海に散る桜
第1章 海に散る桜
 四月五日午後、天気は曇り。

 知覧に向けて発つ日がやってきた。隊員たちはそれぞれ郷里から呼び寄せた家族と、涙ながらに最後の別れを惜しんでいる。特別攻撃隊として敵艦隊に突撃する隊員は、骨のひと欠片すら家族の元に帰ることはかなわない。お国のために散るとはいえ、我が子の死出の旅路を悲しまない親はいない。隊員と家族は互いのすべてを目に焼き付け、まばたきする一瞬すらを惜しむように残り少ない時間を過ごしていた。

「竹田は家族を呼んでいないのか?」

 竹田が少し離れた場所で他の隊員たちをぼんやりと眺めていると、同じように手持ち無沙汰にしていた橋本がすぐそばにやってきた。

「ああ。俺の実家は岐阜なんだ。今日は各務原に宿泊だから、飛行場近くの駅で母と会う約束をしている」
「なるほど」

 部隊は岐阜の各務原飛行場、山口の小月飛行場を経由し、三日をかけて鹿児島の知覧に向かうことになっている。今晩の宿泊地は岐阜だ。現地に住む家族をわざわざここまで呼び寄せる必要はなかった。

「橋本こそ家族は見送りに来ないのか?」
「来ない」

 あっさりと言った橋本は皮肉げな笑みを浮かべた。橋本は一見享楽的な態度の下、親しい竹田にさえ自分の話をまったくしなかった。アクセントや話し方などから東京もしくは東京近郊の出身であることが推測できるが、それだけだった。

「そうか」
「ああ」

 隣に立つ橋本の端正な横顔からは、何の感情も窺うことはできなかった。
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