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臥龍の珠
第2章 梁父の吟
「孔明様でも昔を懐かしんだりなさるのですか?」

 故郷の謡が口を突いて出るほどに。「梁父の吟」を口ずさんでいた亮の視線は、隆中の庵ではなく、遥かに遠い泰山にあった。

「もちろんです。両親に兄弟。泰山での穏やかな暮らし。あの頃はそんな日々がいつまでも続くと、思っていました。何とも無邪気なものです」

 亮は優しく珠の両手をとった。にこりと笑顔を向け、話を続ける。

「ですが、過去は過去。過ぎ去った時は戻りません。私はここ隆中での生活も気に入っていますよ。晴耕雨読の気ままな暮らしに美しい妻。素敵でしょう?」
「美しくなんかありません。里の者が何と言っているか、ご存じでしょうに」

 珠は手を引き抜き、俯いた。珠が嫁いで以来、口さがない里の者は「孔明の嫁選びを真似るなよ。阿承(黄承彦)の醜い娘をもらう羽目になるぞ」と盛んに噂しているという。珠でさえ耳にしているほどなのだ。亮が噂を知らないはずがない。

「知っています。言いたい者には言わせておけばいい。皆、あなたを知らないからそのようなことが言えるのです。艶やかな肌、金の髪、滅多に手に入れることのできない宝物ですよ」

 それに、と亮は俯いた珠の顔を下から覗き込んだ。

「あなたが醜女だという噂が流れれば、あなたに懸想する輩が増えずにすみますからね。私は嫉妬深いんです」
「まあ」

 珠は目を見開き、それから笑った。嘘でもいい。夫の優しい言葉が嬉しかった。
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