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臥龍の珠
第2章 梁父の吟
「母が捕らえられた」

 誰に、とは言わなかった。言わなくてもわかった。

「そうですか。行くのですね?」
「ああ、すまない」
「謝る必要などありません。お母上を大事にしてさしあげてください」

 徐庶の父は既に亡く、最近弟までを亡くしたため、母一人子一人のたった二人の家族だった。そのため母を大事にする気持ちは、誰よりも強かった。

「君も来ないか?」
「曹操は嫌いです」

 徐庶の母を捕らえたのは曹操だった。母の身の安全と引き換えに、曹操への仕官を要求しているといったところだろう。

「嫌い、か」
「はい。嫌いです」

 亮は「曹操」と名を呼んだ。普通は憚って名を呼んだりはしない。字か官位を用いる。わざわざ名を呼んだところに、亮の嫌悪がはっきりと表れていた。

「私は徐州の出身ですから」
「……そうだったな」

 十五年ほど前、徐州を治める陶謙の部下に父親を殺された曹操が、怒りに任せ敵兵のみならず何の罪もない住人まで数十万の人間を虐殺したのは有名な話だった。亮は徐州を流れる泗水(しすい)が死体でせき止められたという、その光景を見たのだろう。

「あの悪夢のような光景を、二度と忘れることはないでしょう」

 亮は切れ長の目を閉じた。そして祈るように静かに頭を垂れた。
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