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あの星に届かなくても
第2章 いびつな日常
背中がざわつく。こういうときこそ、笑顔を絶やしてはいけない。慧子は男性に笑みを返した。
「お客様、少々お待ちいただいてもよろしいですか」
「え?」
「詳しい者に確認してまいりますので」
「ああ、いや……お姉さんがわからないならいいんだけど」
「いえ、申し訳ありませんが、少しだけお待ちください」
なにか言いたげな男性を残し、慧子は小走りで売り場を抜けた。バックヤードに入ると、ちょうど市川と鉢合わせた。
「あっ、市川さん……」
「ん、どうした」
「これとこれ、どっちが生に近いですかっ」
「は?」
突き出された箱を、市川はぎょっとして見下ろす。
「あ……今、男性のお客様が……どっちの感覚が……」
自分でもなにを言っているのかわからなくなり口ごもると、意図を汲み取ってくれた様子の市川が「そういうことね」と呟いた。
「俺が説明しにいくから、貸して」
差し出された手のひらは、大きい。指が長くて、少しごつごつしている。
慧子は遠慮がちに首を横に振り、顔を上げた。
「私が自分で説明します。だから、どう違うのか教えてください」
「…………」
眼鏡の奥で目を見開いた市川は、ふと薄い笑みを浮かべる。意味がわからずにその微笑を見つめていると、ふたつの箱をそっと取られた。
「大丈夫。その人たぶん買う気ないから」
「え?」
「じゃあついてきて」
「……はい」
言われるがまま、スイングドアを開けて売り場に入るその後ろ姿を追う。当たり前だが自分より大きなサイズのユニフォームを身にまとった市川の背中は、今まで見たどの背中より広く、頼もしく思えた。