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あの星に届かなくても
第2章 いびつな日常
「ねえ、慧子ちゃん」
「はい」
「市川くんて彼女いないのかな」
「……え」
慧子は上着を手にしたまま固まった。例のごとく身体を寄せてきた紗恵が、艶っぽい声で囁く。
「あの子、背は高いし、よく見たら結構イケメンじゃない?」
「ああ、えと……」
「だるそうな顔してるくせに周りをよく見てるし、さりげなく優しいし。アッチも優しくしてくれそう」
「そう、ですかねぇ」
奥の部屋に聞こえていないか不安になりながら、慧子は肯定も否定もせずに答えた。なんとなく、紗恵に同調するのが嫌だと思った。あきらかにふしだらな好奇心で市川を分析する彼女に、そのとき初めて嫌悪感を抱いた。
「はい、帰りましょう」
ユニフォームを脱いだ市川が姿を現し、淡々と言った。グレーの長袖Tシャツに細身の黒パンツというシンプルな格好の彼は、気だるげにネイビーのダウンジャケットを羽織る。
「市川くんと慧子ちゃん、ペアルックね」
そう言った紗恵にくすりと笑われ、慧子は上着に腕を通しながら自分の服装を見下ろした。たしかに色合いは似ている。
「仲良しカップルみたい」
「あはは……そんなこと言ったら市川さんが可哀想ですよ」
照れをごまかすようにへらへらと答えて市川の反応を窺うも、その顔はいつもどおり無表情だ。
「帰りますよ」
抑揚のない声で呟いた彼は、ポケットに手を突っ込んでさっさと休憩室を出ていってしまった。
「市川くんて可愛いとこもあるんだ」
愉快そうに紗恵が言った。
「あんなあからさまに照れてるとこ見せられたら、慧子ちゃんも困っちゃうよね」
「……あれは照れてたんですか」
「完全に照れてたでしょ」
いたずらが好きそうな猫目に見つめられ、なぜかふと、友達にひやかされて諦めてしまった幼い頃の小さな恋の思い出がよみがえる。慧子は紗恵に苦笑を返し、無言でリュックを肩にかけた。