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あの星に届かなくても
第4章 過ちはまどろみの中
二ヶ月前の、秋晴れの日だった。狭い休憩室のパイプ椅子に座り、テーブルを挟んで市川と向き合った。見た目の第一印象は、無愛想、冷淡。この人が店長で大丈夫だろうか、と慧子は思った。
さして関心がなさそうに履歴書に目を落とした市川は、前職ではどんな仕事をしていたかと尋ねてきた。てっきり、“辞めた理由”を訊かれると思っていたから拍子抜けした。仕事内容を簡潔に説明すると、それを静かに聞いていた市川は意外にもこう言った。
――「その仕事、好きだったんですね」
仕事の話をする姿はどうやら愉しげに見えたらしい。そのとき初めて、慧子は自分があの仕事を辞めたくなかったのだと知り、『仕事は好きでした』と正直に答えた。それだけ答えるのがやっとだった。腰の奥によみがえる極度の不快感に耐えるため、ひざの上でこぶしを強く握った。
だったらなぜ辞めたのかと追及されるだろうか。そんな不安がよぎったとき、市川が眼鏡のブリッジを指で押し上げ、こちらを見据えた。
――「いつから出勤できますか」
――「え……」
――「ん? いつから来られる?」
――「あっ、いつでも大丈夫です」
――「じゃあ、来週の月曜からでもいいですか」
――「は、はいっ」
思えばあの瞬間、市川は一瞬だけ優しい表情を見せた気がする。あのとき退職理由を尋ねられて、すべて正直に答えていたら、彼は採用してくれなかったかもしれない。
慧子は布団を頭まで被り、きつく目を閉じてうずくまった。