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あの星に届かなくても
第5章 走りだした焦燥
「音楽通ってわけじゃないので全然詳しくないんですけど、これは一瞬で好きになっちゃいました」
言ったあとに、なんとなく気恥ずかしくなった。誰かの趣味に共感して素直に“好き”だと言うのは初めてかもしれない。
「AORっていうジャンルで、日本だと大人向けのロックなんて言われたりする。山下達郎あたりがそうかな」
「父がよく車で聴いてますよ。そっか、聴き慣れてる音楽だから懐かしいと思ったんだ」
自分の中にある潜在的な好みを発見したようで嬉しくなり、慧子はリュックを抱く手に力を込めた。暗い住宅地の景色にぱっとイルミネーションが灯るかのように、心が煌めきだす。
「私はドラマの主題歌になった曲が一番好きです。あの、空港の……」
「ああ、パイロットの」
「そうそう」
「十年以上前だよな」
「リアタイでは観てないんですけど、何年か前に再放送されてて」
一呼吸置いて、二人同時に「懐かしいなあ」と吐き出す。どちらからともなく、くすくすと笑った。嫌味を感じさせない市川の穏やかな笑い声は、卑屈な心に柔らかなぬくもりを与えてくれた。