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あの星に届かなくても
第5章 走りだした焦燥
苦痛な時間はなかなか進んでくれないのに、楽しい時間は実に早く過ぎる。車だと音楽が一曲終わる頃には自宅に着いてしまうくらいの距離なのだから、当然といえば当然だ。
道路脇に車が停まり、この幸せな空間の終わりを告げる。次の曲に切り替わったところで、市川が音量を下げた。
慧子は、ぎこちない手つきでシートベルトを外した。
「ありがとうございました」
「うん。少しは元気になったみたいでよかった」
その言葉に、慧子はドアに手をかけそびれて静止する。気持ちを見透かされていたのだろうかと焦った矢先、市川が「あのさ」と低い声で言った。
「あまり無理しなくていいんだよ」
「え?」
「みんな甘えてるんだよ、望月さんに。パートさんも、お客さんも」
「あ……」
そう言われ、一瞬にして様々な顔が浮かんだ。笑顔の裏になにかを隠している紗恵、彼女を悪く言う山口と斉藤、冷めたふりをしてお節介な村田、慧子にだけ構ってくる客たち、そして、あの元上司……。疑心と不満だらけの醜い自分が顔を覗かせる。
ひかえめに隣へ視線をやれば、そこには無表情な横顔があった。紗恵の言ったとおり、よく見るとたしかに整った顔立ちをしている。
外灯にぼんやりと照らされ陰影がつけられたそれは、黙ってこちらの反応を待っているようで微動だにしない。しかし返事がないのを妙に思ったのか、不意に流し目をよこした。そうしてわずかに口角を上げた。
「我慢した分、言っていいんだよ。今なら」