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アムネシアは蜜愛に花開く
第4章 Ⅲ 突然の熱海と拗れる現実

「でもこっちも可愛いわよねぇ」
由奈さんが、ふたつのタイプの違う浴衣を手にして、はしゃいでいる。
「ねぇ、杏咲ちゃんはどっちが好き? どっちも可愛くて迷っちゃうよね」
とくん、と心臓が、かつてわたしが着ていた浴衣柄に呼応して、巽に抱かれたあの日が蘇ってくる。
「私優柔不断ですぐに決められないから、杏咲ちゃんが選ばなかった方でいいわよ。杏咲ちゃんはどっちが似合うかなあ。白い方?」
じりじりとどこかで蝉が鳴いている。
ああ、あの日。
間違いを犯して断絶に至ったあの日に戻れるのなら、どちらの浴衣が着たいだろう。
十年前の結末を迎えなかった白い着物か、十年前の結末に至る紺地の浴衣か。
とくん……。
心が揺れた。
巽の面影を見出した初彼に、抱かれようとした昔の自分。
巽を忘れたふりをして、濡れない身体で抱かれていた今の自分。
わたしはなにも変わっていないからこそ、わたしは何度でも迷わず、あの十年前を選ぶ。
「わたし、紺色がいい……です」
この先どんなに後悔して忘れようとしても、戻れるのなら、巽に抱かれたあの日を選ぶ。
「うん、わかった。って、どうして杏咲ちゃん泣いてるの!?」
「ごめ、ごめんなさいっ」
大好きな先輩の恋人が好きだ。
怜二さんだけではなく、由奈さんをもわたしは裏切って、何食わぬ顔で一緒に旅行に来てしまった。
そして怜二さんとの未来ではなく、巽のとの過去を選んでしまったわたしがとうしようもなく最低だと思うのに、この結論を変えたいと思わない。
ごめんなさい。
本当に、ごめんなさい。
わたし、巽に気持ちを言わないから。
巽になにも求めないから。
罪の十字架を胸に刻むから、だから巽を想うことを許して下さい。

