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アムネシアは蜜愛に花開く
第5章 Ⅳ 歪んだ溺恋と束の間の幸せ

 そしてふたりに背を向けて階段を下りて一階に行き、ドアノブに手をかけた時、聞こえていた由奈さんの泣き声が嬌声に変わっていた。

「杏咲ちゃんを感じたい、ねぇもっと奥に頂戴っ、由奈に杏咲ちゃんの子供が出来るように、奥に出してっ」
「杏咲、杏咲っ、うう、イ、ク……っ」
「早いっ、もっともっと!! 杏咲ちゃんを感じさせてよっ!」

 ……ふたりがわたしの名前を呼んで狂乱じみて睦み合っていても、蝉騒としかおもえず、不思議と涙は出なかった。

 彼らは今までも、わたしに対して嫌なことがあると、ああやって睦み合って、幻のわたしで自分を慰めて現実逃避をしていたのかもしれない。
 
 その歪んだ感覚はわたしは理解出来ないけれど、きっとふたりの中では理解出来る正常なものなのだろう。

 あのふたりは、わたしを理由にして本当は互いを必要としているからセックスをしていたのかもしれないとも思うけれど、それは彼らを裏切り傷つけたわたしが思うべきことではない。
 
 ただ、心が痛かった。

 もしもわたしが巽に靡かなければ、こんな歪んだ結果にはならなかったはずだ。

 ふたりと笑い合って、毎日を幸せだと思えていたはずだ。
 たとえ偽りの、仮初の平穏であろうとも――。

 もう、後ろは振り返れない。
 この先、どんなに振り返りたく思う時が来ても。

 時間が時間だけに最終列車はもう出てしまっており、巽は手錠を食い込ませたままフロントで空いている特別室を借りた。奇妙な目で見られたらしいが、そこはスマイルで乗り切ってペンチと消毒液と絆創膏を借りたという。

 特別室はワンフロアで、スイートのように景観はよく、熱海市街地の光が星のようにきらきらと輝いて綺麗ではあったけれど、精神的にそれを堪能する気分ではなく、カーテンを引いた。

 わたし達はソファに座り、巽ペンチで手錠を外して傷口に消毒液を振りかけ、わたしは巽に絆創膏を貼りながら、冷蔵庫にあった氷をハンカチで包み、頬を冷やしていた。

「巽、ありがとうね」

 巽はペンチを持ちながら、わたしを見上げた。

「穏便に伝えようとしてくれていたんだね」

――もう最初から、壊れているから。
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