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アムネシアは蜜愛に花開く
第3章 Ⅱ 誘惑は根性の先に待ち受ける

 ***

 ふらふらと家に戻ったわたしは、玄関先で崩れるようにして眠り込んでしまった。

 そしてひとつの、記憶に封をした懐かしき夢を見る。

――お姉ちゃん。

 それはもう見る影もない、義弟になりたての頃の巽だった。

 あの頃の巽は髪を肩で切り揃えた、天使の如き美少女の姿をしていて、惰弱で人見知りをしていつもわたしの影にいた。

 天使を穢そうとする悪い輩は、もれなくわたしの鉄槌が下されることで、巽は怖い姉の弟という肩書きで守られてきたようで、そこからわたしは巽の信頼を勝ち取っていったように思う。

 小学生の彼は、わたしの誕生日祝いに、なけなしのお小遣いで買った一輪のアムネシアをわたしに差し出して、はにかんだように笑う。

――お姉ちゃん、大好き。

 恥ずかしそうに、しかしひたむきなその顔に、幼心にもドキリとしてしまったあの時。

 可愛くて可愛くて、わたしの宝物だった巽。

 その彼は、わたしになにかを囁いた。
 もうそんな混信(さざめき)は、今でも嗅覚を刺激するアムネシアの香りに遮られて、思い出すことは出来ないけれど。

 それが悲しく、わたしは意識を沈ませ、昔のことを走馬灯のように思い出す。

――アズ、どう? 僕、大人に見える?

 巽が中学にあがった時、彼は髪を短くして学ランを着た。
 妖しげな美少年がそこにいて、またわたしの心が不可解に熱を伴ってドクドクと脈動した。

 しかし巽が中学生になった時わたしは受験期で、受験戦争の真っ只中。
 合格しないといけないという切迫感とストレスで、些細なことでも神経質になりやすかった。

 とりわけそんなわたしに気遣わずに、家で両親がイチャイチャしているのが耐えきれずに、暴言を吐いて出て行ったこともある。

 さらに中学校では巽の美少年ぶりが有名になって、姉であるわたしの元に女生徒が巽の情報収集だと詰めかけていたから、集中して勉強が出来るのは隣町の小さな図書館か塾しかなく、必然的に巽と一緒にいる時間が減じた。

 巽がなにかを訴えたそうな顔をしていたのはわかってはいたけれど、巽がクラスに馴染んだところまではわたしもわかっていたし、中学校に入ったばかりの義弟とこれから高校に入らなければ浪人してしまうかもしれないわたしの立場は違い、今は遊んでいる暇はないのだと、差し出された手を払ったこともある。
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