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月夜の迷子たち
第1章 鏡の中の世界から
ここでようやく、紗奈は男の顔をじっくりと見ることができた。

瞳は凛としていて、紗奈が描いたルーベンスの絵をじっと見つめていた。

綺麗な鼻梁に引き締まった唇・・・・。その精悍な横顔は、小さい頃夢中で読んだ絵本に出てくる騎士に似ていた。

外の世界を直接見ると死ぬという呪いをかけられたシャーロットの姫。
河の近くの塔に閉じ込められ、鏡を通してしか外の世界を見ることが出来ない。
ある日、円卓の騎士のランスロットの歌声が聞こえてくる。
シャーロットの姫はその美しい歌声に心惹かれとうとう外の世界を直接見てしまう。

その瞬間、鏡はひび割れ、呪いは現実のものとなる。
ランスロットを追ってシャーロットの姫は舟に乗るが、ランスロットに会うことなく舟の上で死んでしまう・・・・・。

ハッピーエンドの物語ばかり読んでいた幼い紗奈にとって、この悲劇の結末は衝撃的だった。

図書館にあった古い絵本で、今はもう手に入らない。
絵の作者も不明だったが、今でも鮮明に思い出される歌を歌う美しい騎士の横顔・・・・・。

紗奈はその横顔に心を奪われた。

「本当にすごい。ルノアールもフェルメールも・・・・あ、オフィーリア。俺、この絵好きなんだよな」

男は壁にかけてあったジョン・エヴァレット・ミレーの『オフィーリア』を見て言った。生と死の狭間にいる美しいオフィーリアが今まさに川の中に沈み込もうとしている様を描いたミレーの傑作だ。

「どうしたらこんな風に描けるの?」

そこでようやく男は紗奈に視線を戻した。

潤んだ瞳が自分に向いたので、紗奈の胸が高鳴る。誤魔化すように適当に答えた。

「・・・なんとなく」
「なんとなく?なんとなくで描けるんだ?」

男はクスクスと笑った。
その笑顔が少年のように愛らしく、紗奈の鼓動は更に早まった。
紗奈はぎこちない笑顔を浮かべた。

「いえ、そうじゃなくて・・・・誰でも練習すれば描けるわ。たくさん描けばそれぞれの画家の描き方というか、癖みたいなものがわかるから」
「へえ・・・・。色を再現するのも大変じゃない?」

紗奈は頷いた。

「そうね。でも、そういう色彩の判断も、割と得意な方だと思う」

紗奈は遠慮がちに言ったのだが、自慢に聞こえただろうか。
男は小さく優しく笑った。

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