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滲む墨痕
第3章 雪泥鴻爪
「すみません……すみませ……っ」
潤は頭を下げながら、なにに対する謝罪なのか自分でも明確に理解していなかった。すでに起こってしまった過ちへの反省、あるいは、これから起こるかもしれない崩壊への懺悔。漠然とした不安に掻き立てられるまま、何度も繰り返した。
やがて、「早く来なさい」という呆れ声が今夜の秘事を闇に葬った。振り返らずに歩き去る女将の足跡を追って、潤は冷えきった足を踏み出す。
薄い雪を踏みしめながら数歩進み、やはり耐えられずに後ろを振り向けば、遠くで佇んだまま動かない男の姿が視界に入った。
かすかに、彼が笑みを浮かべたような気がした。そうであってほしいと切望する、愚かな女の脳が創りあげた儚い幻かもしれない。
潤は彼から顔を背け、溢れ出る涙を指で拭いながら未練を振り払うようにその場をあとにした。
明日には、雪解けとともにこの足跡も消えるだろう。跡形もなく。
雪泥鴻爪(せつでいこうそう)=雪泥の上の鴻(おおとり)の爪跡。雪解けのぬかるみに鴻が爪の跡を残してもすぐに消えるという意味から、世間の出来事や人の行いなどが消えてしまい跡形のないこと。