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滲む墨痕
第5章 尤雲殢雨
それは、まさに感情でしかなかった。相手を巧みに導くために繕うのではなく、かといって思いやりを含む余裕もない、切実すぎる気持ちだった。
心の中に、ある一言が湧き上がるのを自覚して潤は俯いた。
ずっと昔から胸に秘めていた。誰かに吐き出したくて、だが言えずにいた。誰にぶつけたい気持ちなのか、とっくにわからなくなっていた。
「……勝手な人」
ほろりとこぼれる小さな哀情は、まぶたから溢れ出して水面を弱く打ち、波紋を広げる。
「でも、私だって」
心の内を晒そうとすれば、自ずと精神が弛緩する気がした。無意識に抑えてきた本音が、薄い唇の間からほとばしる。
「攫ってくれたら、なんて……」
大きな秘密が生まれたあの夜、ひっそりと抱いた愚かな望み。実際に口にすると、妙に夢幻的な響きが自嘲を誘った。
「勝手に願って、待っていたの」
ついに卑しい自分を曝け出し、黙り込む。まばたきとともに落ちるしずくが次々に水面を揺らした。