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滲む墨痕
第2章 顔筋柳骨
見え透いた嘘だったかもしれない。だが藤田はそれ以上なにも訊かず、「僕は」と静かに言った。
「藤田昭俊です」
潤は思わず視線を上げた。
「あきとし?」
「千秋は雅号(がごう)です。ペンネームみたいなものですよ。本名は昭俊」
「……昭俊さん」
「はい」
穏やかに返事をして、藤田は口角を上げた。
男らしさの中にある優しさ。それをそのまま形にしたような、凛々しい笑顔。太い首、作務衣に覆われた広い肩、熱意の塊のような硬い手。
――すべてが違っている。あの人と。
無意識のうちに浮かび上がったその想いは、せっかく気持ちを込めて書いた『初志貫徹』を無意味なものにする気がした。互いを愛し抜くと誓ったあの日、こんなふうに別の男と比較される日が来ると、誠二郎は予想していただろうか。
潤は、自身が潤筆したそれを横目でそっと見下ろす。
この黒々とした文字が、自分の中に蠢きはじめた真情によって透明な水に沈められる。溶け出した墨が滲んで分解され、まるで闇に堕とされた天女の羽衣のごとく妖しく揺れ、そのまま消えていく姿が頭に浮かんだ。